見出し画像

【いまさら勉強】私の英語人生は、中学1年の初めての中間テストで決まった。

40代で今までやり残したことに挑戦しよう・・・と思った。
この時決めたのは、以下の2点。

  • ダイエット

  • 英語の苦手克服

そして、実はもうすぐ40代も終わろうとしている。
一応色々頑張ってみたものの、この二つは結局克服できずに、どうやら40代が終わってしまうのだ。

とはいえ、最後の足掻きとして現在英語勉強中。
「英語は筋トレ・・・」
昔教えてくれた知り合いの英語の先生に言われたこの言葉を呟きつつ、毎日ちょっとずつ英単語を覚えているのだ。

今回は、私がどうして英語が苦手になったのかを思い返してここに残しておこうと思う。



▶︎英語が苦手になった瞬間


「98点……」
初めての英語のテスト。今思えば簡単なものだ。
英単語とアルファベットの試験。ちょっと勉強したら100点を取ることができる。
事実、クラスのほとんどの生徒は100点満点を取っており、教室の至る所で「何点だった?」「100点!」という声が聞こえていた。

私はもう一度答案用紙を確認した。
「98点」、何度見てもそう書いてある。

どの問題を間違えたのかというと、「犬を英語で書け」というもので、中1レベルの英語力があれば、誰がどう考えても「dog」と答えるはずである。

ところが私の答えは「dag」であった。

もちろんそこには大きな×が書いてある。
なんてことだ! 私は単純に書き間違えてしまったのである。
よりによって大好きな犬のスペルを間違えるなんて……。

こうして、私の英語苦手人生は始まったのである。
このテストからずっと、学生時代は英語が苦手だった。
高校受験も大学受験も「英語の成績さえ上がればもっと上のランクを狙えるのにねえ」と担任の先生を悩ませた。


▶︎関西弁でどうになるやん!(大いなる勘違い)

文法も苦手だったが、もっとも私が恐れていたのはスピーキングで、英語の教科書を音読させられるときはわざと発音は日本的に、いわゆるカタカナ英語で発音した。
そのときは、それでもいいと思ったのだ。
日本にいる限り、英語なんて喋ることができなくても何の問題もないと。

それから数年。
社会人になって、海外旅行に行くことも多くなった。
私が行っていたのは主にヨーロッパ。
フランス語だのドイツ語だのは喋ることができなくても当たり前。
しかも一緒に旅行に行く友人はオーストラリアにワーキングホリデーで行っていただけあって英語はペラペラ。

たとえば、デンマークで財布をすられた時もどうにか助けてもらったのだ。(波瀾万丈な海外旅行のエピソードはまたそのうち書こうと思っています)

また、ドイツのブレーメンでエコバッグをお土産用に大量購入したとき、10ユーロほど多くお金を請求された時も「これ、ちょっと違うと思うねん。ちゃんと確認して欲しいねん」といつもより強めの関西弁でゆっくりしゃべると何となく通じてしまったのも「英語しゃべれんでも大丈夫」という私の妙な自信につながっていたんだと今となっては思う。
海外に行っても、強めの関西弁ならば何の問題もない、と。


▶︎追い詰められて英語を勉強

そんな私がとうとう英語を勉強することになった。
きっかけは「仕事」だ。
当時の私の仕事は、「自社のオリジナルコンテンツをライセンスビジネスで収益をあげることができるようにする」というもの。
ただまだコンテンツの認知度も低い為、とにかく色々なきっかけを探していた。

そんな中、見つけた「オリジナルコンテンツを海外にアピールする“ピッチング講座”」を発見してさっそく応募。
見事採用されたものの、その内容は海外のアニメプロデューサーに英語で自社コンテンツをピッチングするための講座だった。

つまり、英語で外国人にプレゼンするのだ。
この、英語を人生の中から追い出した私が!

最初のレッスンでの抜き打ち英語自己紹介で、私が発した言葉は「マイ ネーム イズ ハナコ マスダ。フロム カンサイ」だけだった。
後で聞いた話だが、先生は内心頭を抱えていたそうだ。

そんな壊滅的な私の英語力だが、それでも外国人の前でのプレゼンまで、3ヶ月弱で英語をマスターしなければならない。
さすがにビジネスの場では、「強めの関西弁」で押し切ることは困難だろう。
しかも、東京のアニメ制作会社4社が選ばれている中、関西でしかもアニメの制作会社ではない、ただコンテンツを持っているだけの会社は1社だけ。英語以前にプレゼンの内容から考えなくてはならない。

プレゼンに向けてのレッスンはたった5回。
しかも東京で行われるのだ。
通常業務も抱えつつ、東京に通うのである。
東京でのレッスンでは、何とか作ったプレゼン資料をまず日本語でチェックしてもらい、日本語が決まった段階でGoogle翻訳を駆使して英語のプレゼン資料を作成、英語の先生に英語の添削をお願いし、あとはそれを何度も読んで練習……。
多分人生の中で一番英語を勉強したんではないだろうか?

プレゼン当日。
着ぐるみに入った私がコンテンツのテーマソングで踊り、途中で顔を出して手を振る映像を前に私は堂々と言い切った。

「Do you like my outfit?(似合うでしょ?)」

会場内は笑いに包まれた。外国人にもウケたのだ。
そのあとのプレゼンは決してスムーズではなかったかもしれないが、私にとっては十分合格点だった。

出張先のホテルで早朝から練習。通勤中も人気のいないところでは小声でずっと練習してきた。そんなことを思い出しながらスピーチしていたように思う。
その後、どうにかプレゼンは終了。外国人にも通じているようだ。しかしプレゼン後の質疑応答では次の試練が待ち受けていた。

……質問が聞き取れないのだ。

たまらず通訳をお願いしたのだが、英語の難しさを痛感した。
イベント終了後、外国人プロデューサーと名刺交換が始まった。この会場は、日本で外国人よりも日本人が多いはずなのに、私以外の全ての人が英語を話していた。

あんなに努力したのに、決まったことを言うだけならどうにかなったのだが、フランス語なまりや早口の英語にはなんの武器も持っていないので太刀打ちできない。
一応通訳もついてくれたが、一人だけ後から話題について行くような状況なので、こちらから何も発言はできない。

つまり、私の英語力はまだまだだったのだ。


▶︎そして今・・・

ちょっと頑張ったとはいえ、私の英語人生は始まったばかり。
何をいっているかさえサッパリ分からない。
一人だけ異世界に迷い込んだのかと思ってしまうくらい、その場では孤独を感じてしまった。

そして、今回の経験はゴールではなく遅れたスタートだと痛感した私は、その日からまた英語を勉強して・・・
いなかった!

あの辛かった日から5年・・・。
もちろんすっかり忘れてしまった英単語。
それを今からコツコツ覚えるのだ。
前と同じく、期限の迫る中で。
一応今のところ、英語ペラペラの自分を思い描いてみるが、全く想像できない。
それでも40代のうちにせめて苦手意識を克服したい私は、今日もまた、単語帳を開いているのだ。

英語挫折人間ですが、これからもちょっと足掻いてみようと思うので、その経過もまた記録していこうと思います・・・。


▶︎英語をやり直したい方へ、おすすめのマンガ

・みちこさん英語をやり直す(am・is・areでつまづいたあなたへ)


みちこさん、めちゃくちゃ気持ちわかるよ!
と、共感しまくりの本。
挫けそうになったら読み返してました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?