短編小説「青の変化」

いつからだろう。いろんな感情が心の中をさまよい、自分でもうまく表せないようになったのは。
自分の中で、それも自分の知らないところで、なにかが変わっていってる気がする。
 去年まではこんなことはなかった。朝おきて学校に行き、退屈な授業をうけ、大好きなサッカーをする、その繰り返しの毎日で、何事もなくただ忙しく時間が過ぎていった。
 はじめて違和感をおぼえたのは、今年の春あたり、高校二年生になってからだ。
 いつも通りの退屈な授業をうけていた。ふと窓の外を見ると、校舎の隅に桜が咲いているのが目に映った。

 綺麗だなと思った。風に吹かれて宙を舞う花びらが、ひらひらとゆっくり地面に落ちてゆく。薄いピンク色をした一枚一枚が輝いて見え、時がゆっくり過ぎてゆくのをかんじた。
今までそんな風に感じたことはなかった。ただきれいだなと思うことはあっっても、桜が輝いて見えることは今までいちどもなかった。
不思議に思った僕は、その日の昼休み、友達に聞いてみた。

「なぁ、タケル。桜見てきれいだなって思ったことあるか?」
「さくら?そりゃあ桜はきれいだろ」
「いや違うんだって、そうじゃなくてさ、なんか、こうさ、もっと、あー桜ってきれいだなって本気で思ったことあるか?」
「うーん、そんな風に本気で思ったことはねぇかな、というかそうゆう風に意識して桜見たことねぇわ、どうしたんだ、急に?」
「いや、ちょっと気になっただけで、別にどうってことねえよ」
「そうか?じゃあいいけど。あ、でも、ちょっと話はずれるかもしんねえけど、おれも最近どうも胸がモヤモヤするっていうか、なんというかすっきりしねえんだよ。」
「そうなのか?」
「おう、なんかうまく言葉にできねえんだけどよ、なんかこう、ぬはぁっ!て叫びたくなるかんじ?」
「なんだよ、ぬはぁっ!て、そんな日本語きいたことねえよ」
「しゃあねえじゃん、ほんとにぬはぁっ!て叫びたくなるんだからよ」
「ぬはぁっ!か、なんかわからねえけど、言おうとしてることはちょっとわかるかもしんねえ」
「だろ?こう思うようになったのはここ最近なんだけどよ、なんか変なかんじだぜ」
「何なんだろうな、今日桜見てなんかいつもと違う気がしたから聞いてみたけどよ、よくわかんねえや」
「まあ考えてもしかたねえや、そんなことより昼めし食いに行こぜ」
「おう、そうするか」

そしてそのままこの話はおわってしまった。結局その時、自分の伝えたかったことが友達に伝わったかわからなかった。でもモヤモヤしているのは自分だけではないとわかって、なぜか少しほっとした。

 桜の一件をはじめに自分の中での変化は次々と起こった。
部活でランニングをしている時も、走ると自分の心臓がドクンドクンと脈打つのを感じるようになり、サッカーをしているときも、舞った土埃のにおいとみんなの汗のにおいが混じった独特の香りが鼻をかすめるようになった。授業中もボーっとしてしまい、先生に注意される数が増えていった。

 日に日に感性が研ぎ澄まされていくのを感じた。季節の変わり目が風のにおいで分かるようになったり、なんともない景色に感動したり、急に自分のことでいっぱいになったり、隣の席の女の子と目を見て話せなくなったり、じぶんではないジブンがこころのなかに住み着いているような気がしたり、今の気持ちを表す言葉がどこにも見つからなかったり、苦しいような切ないような気持になったり、必死に悩んで、すべてがいやになったり、消えてしまいたいと思ったり、自分の弱さが死ぬほど怖くなったり。
今まで経験したことない感情がぼくを襲った。
 ぼくはどうすることもできなかった。内から聞こえる声を無視しようとしても、その声は大きくなるいっぽうで、言葉にできない感情が僕を追い詰めていった。

 そんな苦しい日々が続いていたある冬の日、部活がおわり、家に帰る途中、いつも通っている橋の上で、歩みを止めた。なんとなしに見た空に目を奪われたのだ。雲一つない空が透きとおって、どこまでも見えそうだった。遠くの山にオレンジ色を隠し、薄い青から濃い青へと変わっていく。はっきりとした色の継ぎ目はなく、だんだんと深い青に染まる空に吸い込まれていった。

そんな空を見たとき、ぼくはこの頃の変化の正体を悟った。ああ、そうか、ぼくはこれから染まっていくんだ。知らなかった色や景色、感情、音やにおい、そのどれもが自分を形作ってゆく、自分の色になってゆく。どこまでも続くと思っていた自分は、もういない。少しづつ染まり、おとなになってゆく。ちょうど夕方の空が薄い青から濃い青に変わるように、ぼくも青年から大人に少しずつ変化してゆく。自分はこれからどんな色に染まるのだろう。

気づくと僕は泣いていた。この空の異常なきれいさが心に鋭く優しくささった。   
僕は胸がすこし軽くなったのを感じて、家に向かって再び歩き出した。空は黒く、きれいな闇に覆われ、星々はかがやいていた。

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