子供を産んだ日のこと
11月の半ば頃から子宮頸管が短くなってきて、張り止めを飲んで安静にしているよう言われる。可能な限りじっとして過ごしていたが12月半ば、正産期に入ったのでガンガン散歩するようにと言われる。その頃には子宮口も開き始めていたので、12月の下旬には生まれるだろうと私も先生も思っていた。
しかし生まれないまま12月最後の検診へ行くことになる。いつも通りモニターをつけると赤ちゃんの心音がゆっくりになる時があり、即入院。そこから大晦日まで3日間入院したが、それ以降は問題なかったので一度家に帰れることになり、夫と年末年始を楽しく過ごす。
予定日を1日過ぎた1月3日3時半頃、おなかが痛くて起きる。夫が起きていたので「多分そろそろだからちょっとだけでも寝な」と言う
しかしその後割とすぐに陣痛が10分間隔になり、そもそもその日の9時から診察の予定だったので朝まで我慢しようと思ったが、我慢できないくらい痛すぎたのと血がかなり出てきたので5時頃病院に電話、夫が起きてくる(多分寝ていない)。
病院に来るようにと言われたので一旦あったかいお茶をのんでタクシーを呼ぶ。下の自販機で飲み物買っておいてと夫に頼み、トイレに行ったりカイロ貼ったりして出かける準備をした。入院バッグなどは年末の入院の時に置いてきたので身軽。タクシーに乗っている間は陣痛が比較的落ち着いていた。正月三が日の早朝だから道もすいていて、すぐに病院に着いた。
5時半頃病院に着くとちょうど陣痛の波が来て立てず、車椅子で陣痛室へ。診察すると子宮口は7〜8センチとのことだった。初産だから昼〜夕方までかかるだろうから、と言われ夫は買い出しへ。コロナ渦なので立会いは夫のみ・出入りはトイレのみのためかなり沢山買い込んできてくれたらしいが、この後すぐに怒涛の展開となるので見てはいない。
モニターをつけると5〜6分間隔で陣痛が来ているようだった。たまに痛すぎて吐き気がすごかった。痛すぎるからかと思ったが、吐き気はホルモンのせいらしい。陣痛は痛すぎるやつとまあまあ痛いやつが来ていたけど、「全部痛くなったらいい感じに進んでいるってことです」って言われてマジかよ絶対に死ぬと絶望する。
7時前に朝ごはんが来た。直前までは食べる!と思っていたが痛すぎて食べられず。陣痛の波に耐えつつ、波が去ったら夫にあげるって言おうと思っていたが波が去らないまま7時頃痛すぎてナースコール。助産師さんに「うん、もう分娩室行こう」と言われ分娩室へ。結局病院の朝ごはんも夫が買ってきたおにぎりも食べられなかった。
分娩台に乗り、診察したらほぼ全開なのでもう産むよ!と言われる。産み方知らんけど 痛すぎるのが何回も来る、嫌すぎて早くどうにかしてくれと言う気持ちになる。いきんでいいよって言われたのでいきむ。痛すぎて陣痛の波が来てるときは「あー」って言ってないと死ぬので喉がめちゃくちゃ乾いて、お茶を死ぬほど飲んだ。寝ながら飲み物が飲めると噂のストローキャップ、別にいらんかなと思ってたけどめちゃくちゃ必要だった。
なかなか破水せず、何度目かのいきみで人工的に破水させたらしい。痛すぎるけどいきんでる時は楽だった。呼吸がうまくいかない時があって、酸素つけられたり色々、いきんだらなんか動脈の近くががっつり切れたらしく血がいっぱい出た。その次の陣痛で会陰切開したけどもはや何も痛くない。ぱつんと音がした。「赤ちゃん出るのに時間かかると苦しんじゃうから、いきんだタイミングでおなか押すので負けずにいきんでください!」と言われる。血が出すぎているからさっさと産んで処置しないといけないってのもあったらしい。
8時40分頃産まれる。産まれた直後、見た!ずるんと出た。赤ちゃんはすぐに泣いた。夫に「見た!」と言うと「俺も見たよ!」と言う。軽く拭いておなかに乗せてもらう。重さがある!すごい。生きてる。わああ、わああ、としか言えない。しわくちゃ。自分の一部のような気持ちなのかな?と想像していたけど、実際に産んで見ると生まれた直後から既に一個人だった。
股が血まみれすぎるのですごく急いで胎盤を出して、合計1時間ほどかけてたくさん縫われた。クソ痛すぎる。夫は処置中入れないので隣の部屋で赤ちゃんを見たり抱いたりしていた。
赤ちゃんはよく泣いて元気だけど、診察ではずっと2600〜2700あるって聞いていたのに、2397グラムと聞いて不安になったけど縫われてるのが痛すぎでそれどころではなかった。「小さいけど大丈夫かな、」とつぶやいたら「40週超えてるから大丈夫!」と言われた。臍の緒がすごく細かったらしい。点滴入れる時も血管細いと言われていたのでわたしは体のいろんな管が細いのかもしれんなと思った。とにかく無事に大きくなって欲しい。(1ヶ月半現在4.5kgまで大きくなりました、よかった)
1時間近く、めちゃくちゃ股を縫われていて死ぬほど痛くて麻酔追加するも中が裂けすぎていて効かず、痛すぎるのでずっと拷問だった。隣の部屋にいた夫はのちにそれを「拷問受けてる人いた」「ライオンに生きたまま食われてる人の声だった」と言っていた。そのあと赤ちゃんと夫が分娩台にきた、赤ちゃんかわいい。全部ある。目も手もまつ毛も出来てからこの世界に出てきてる、すごい。
赤ちゃんが口をすぼめたり舌を出したり手を吸ったりするのでおっぱい飲ませてみましょうとなる。助産師さんがおっぱいをぎゅっと絞る。出ないだろうな〜と思ってたけど普通に出た。出るんかい。「もったいないもったいない」と赤ちゃんの口におっぱいをガッツリ突っ込む助産師さん。
ちょっと泣いたりしつつ、すぐに吸った!すごい。泣きながらおっぱい吸ってる赤ちゃんの声が「んまいんまい」って聞こえて笑った。
そのあとまだ血が出ていたのでさらにまた数カ所縫う、死ぬ。夫に先生が説明したところによると、組織がもろくなっていてハンバーグ状態なのでいっぱい縫いましたとのこと。グロすぎる。
血が1リットルほど出たので出血多量も多量ということで、今日はとにかくベッドから動かないように尿に管をつけられる。痛いと言う噂を聞いてた気がするので怯える。痛いことしすぎてもう嫌すぎてどうにか管挿さなくていいことにならんか?と遠回しに言ってみたが回避できず。でも結局トイレ行かなくて済んで楽だった。
陣痛の痛みは忘れるようにプログラムされてると思う。お産の痛みは多分そもそも脳に残されにくい気がする、お産が一番楽でその前と後がつらかったって言ったら夫が「あんなに痛そうだったのに?!」って言ってたので多分痛かったんだろうとは思う。
世の中の痛いことは全部あの日にやり終えた自信がある。
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