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気付いたら32歳で家具職人になっていた。(その3)

前回は計画も無く『えいや!』でイベントに申し込んだところまで書きました。今回は無事に商品もできて、イベントに出発したところから。

はじめてのお客さん

出店の準備も整い、イベント開始。
緊張でそわそわ。ほんとうにお客さんに見て貰えるだろうか。
来場者数も多いため、そこそこお客さんにも見てもらえてる。
声をかけるべきか・・・どうしよう。
と思っていたらすんなりと一つ目を購入していただきました。

自分で作った物を、はじめて会った人に買ってもらえた。この初めての感覚にサラリーマンの時には味わえなかった嬉しさがこみ上げてきました。

そのあともちらほらと買ってくれるお客さんがいて、
ちょっとずつ不安から楽しさに変わっていきました。

転機となるお客様

そんな中、私の人生の転機となるお客さんがやってきます。

今までのお客さんとは何か違う雰囲気。
しかし、こちらは接客の初心者。勇気を出しておそるおそる声をかけると、なんと名古屋で雑貨屋さんをしているとのこと。
しかも商品をお気に入りいただき、取り扱わせてもらえないかとのオファー。

まさに心躍る思い。
さっそく2日目が終わったあとにお店へお伺いする約束をしました。

その後もちょこちょことお客さんが来ては購入していただいて
初めてにしては上出来なスタートとなりました。

初めての卸販売

初のイベントが終了して心地よい疲労を感じつつ雑貨屋さんに向かいました。
とても気さくなご夫婦が運営している雑貨屋さんで、外観もおしゃれな雰囲気。サラリーマンをしながら雑貨製作をしていることを話すと応援してくれるような温かい方でした。
私は機械設計の仕事しかしてこなかったので、小売りの商習慣などまったくわからず、この雑貨屋さんとのやりとりで掛け値や請求書の書き方などを学ばせてもらいました。

イベントでそこそこ売れて、更に雑貨屋さんと出会い、私の中ではもうすでに家具屋になる夢を現実にする気がまんまん。
まずは妻を説得するところからです。

妻を説得、そして訓練校受験へ

やる気も見せて、雑貨屋開拓の実績も作りいざ妻を説得へ。
仕事を辞めて訓練校に入りたいとつげると
『何となくそんな気はしていた』
と100%賛成ではないものの、覚悟はしていたみたいでしぶしぶOKをもらいました。

その後は両方の両親に告げるも引き留めムードでしたが
ここは自分の意志を通して訓練校受験へと突き進むのでした。
この時2010年の9月。

ただここで問題が。
訓練校の受験は2月、合格発表は3月(たしかそのぐらいだった)。
会社を辞めるのは2~3ヶ月前くらいに伝えないといけないので12月頃には
上司に相談しないといけません。
ということは訓練校の合否が出る前に退職を申し出ないといけなく、
もし不合格なら晴れてニート確定。

だけどそれを理由に受験をしないなんてことはありえない。
必ず合格してやるという根拠のない地震に満ちあふれて12月の納会前に
上司に退職の相談をするのでした。

2011年3月、晴れて合格!
当時は木工科が人気で2倍くらいの倍率だったのですが無事合格しました。
そしてその後すぐに東日本大震災、計画停電、原発事故。
希望やら不安やらが入り交じって木工家人生がはじまりました。

(その4に続く)

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