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旅の途中、秋祭りのさなか、山向こうのあの町にいたころ。


思いつきを行動にうつそうとしては、ほどよく転ぶような大学生だった。

都会のこじゃれた大学では、騒々しい学生はどちらかというと少数派。
二十歳も超えて落ち着きのないオトナというのは、どうにも人にはいとけなく映るものらしい。

そんな学生が居着いた場所はいくつかあり、アルバイト先の書店や大学図書館、縄文研究のゼミ、北部アフリカ文化専攻の講義室、英文学や映画論をたしなむ水曜日などは忘れがたい安息の地だ。

しかしお恥ずかしながら、当時から不治の病である放浪癖を患っていたため、命短し旅するものぞ! をあいことばに、私はあちこちへ出張していた。

私が学生だった頃、大学は不思議に満ちたガッコウだった。
まず、始業時間は毎朝8時の高校とは異なり、登校時間はじぶんできめた時間割どおり。三年生にもなると週5で通いつめるほうが危篤で、ときどきふらりと人が消えたりもする。

そしてどうやら私も消えてしまう側だったようで、ある秋の頃、なぜか慣れ親しんだ大学を離れて、飛騨高山に居た。

実のところ、「なぜか」ではない。
ある目的のための経由地として、住み込みで働いていたのだ。

そうした事情がございまして、岐阜県高山市は旅先であると同時に、ちょっとしたご縁のある町になった。

きみはなにしに高山へ?


高山での勤務先は町中の旅館だった。朝日とともに出勤し、お昼にはいったん眠りについて、夕方から夜にまた出勤する。そんな不規則な生活。
あのころは若かったなぁとしみじみ思い返してしまうものの、少なくとも5人以上の従業員たちが私と同じような生活サイクルで働いていたはずだ。

接客の仕事は好きだった。
飛驒山脈に囲まれた高山という町まではるばるやってきたお客さまのまえで、わたしは「仲居さん」の顔をして「ようこそお越しくださいました」の挨拶をする。

本当はわたしのほうも「お越しくださった」側なのだけれども。
そんなことはお客さんたちには関係ない。

彼らは日常にない体験を求めて旅をしてきたのだ。こころよく過ごしてもらって、気持ちよくお金を落としてもらって、お帰りまで見届けることが、旅行業に携わるものの目的であり思惑である。

接客の仕事は好きだ。働いている時間は笑っていられるし、忙しなく動いている間は不安に溺れて落ち込んでもいられない。
それなりにしんどいことに行きあって、思わず泣きたくなったとしても、私が仕事を辞めたくなることはなかった。

……なんといっても、まかないが美味しかったのだ。特に朝食は絶品だった。絶妙な水加減で炊かれたつやつやのブランド米、大きなお鍋からすくう葱入りお味噌汁、たまに飛騨牛のせいろ蒸し。

あの旅館で厨房に立ってくれていた板前さんたちには、一宿一飯どころではないご恩を感じている。いまでもたびたび思う。これまでの人生で一番、日々の食生活が充実しすぎていた贅沢な時間だった。

Wi-fiもとめて三千里


ちなみに当時、私が住んでいたのは『社員寮』だった。

安アパートの一室で、部屋にエアコンなんてものはついてない。
おまけに壁が薄くて、隣室の住民がぱちんとふすまを閉める音が聞こえてくる。たまに電話の話し声や、テレビの音声なんかも聞こえてくるから、息を潜めて過ごさなきゃいけない夜もあった。

それでもに当時の私とっては誇らしい我が家だった。仮住まいならばお気楽なもので、私は人生初めてのひとり暮らしをおおいに満喫したのだった。

しかし、困ったこともあった。社員寮にはWi-fiがなかった。

実家住まいでぬくぬくと過ごしてきた学生にとって、インターネットは家に帰れば使い放題なもの。

のちに家を出て自分名義で契約をするようになり、そのありがたさにも気づいたものの、毎日寝泊まりする寮にwi-fiがないことは、まさしくカルチャーショックだった。

というか正直、困窮した。

携帯で動画を見るにも、パソコンで調べごとをするにも、ゲーム機で新作ソフトをダウンロードするにも、ネット環境は必須だ!
さらには私は夜な夜なSNSに入りびたる趣味ももっていたし、ネットがなければ生きられない現代人だったのだ。

幸い、高山市にはフリーwi-fiを設置している施設が数多くあり、おかげさまで通信会社のパケット制限に嘆くことなく過ごすことができました。
ありがとう、高山のやさしいひとたち。そこにインターネット中毒者がいることを許してくれて。

おかげさまで、私は。

公民館のフリースペースで音ゲーをプレイしたり。
深夜のマックで嗚咽を漏らしながらアニメを鑑賞したり。
行きつけのカフェで同人誌を入稿したり。

旅先でも「いつもの私」を失わず、心穏やかでいることができたのだ。

それにしても、あのころの私は、町の住民たちの目にはどんなひとに映っていたのだろう…。

そして祭りがやってきて


秋の高山祭の時期だった。

高山市には春と秋に大きな祭りがやってくる。毎年10月に開催される櫻山八幡宮の例祭は、秋の高山祭として世に知られている。日本三大美祭のひとつに数えられる祭りのころ、小京都とも知られるあの町には、全国各地や海外から観光客がこぞってやってくるのだ。

そうしたものめずらしさに惹かれて行ったわけではない。季節限定の求人募集と、私という個人の都合と、高山という小京都の伝統が偶然重なったのだ。だからそのときそこにいた。

祭りの当日は旅館にとってはもちろん掻き入れどきなのだが、2日間ある祭りのうち、1日はたまたまお休みをもらえた。「楽しんでおいで」なんて言って送り出してくれたけど、きっとそれもヨソ者への気遣いだったのだろう。

みんなが忙しい時に私ときたら…なんて思いつつ、私はお休み前日はせめて笑顔で退勤した。

「お休みありがとうございます! 観光してきます!」

というか、小学生のように喜んでいた。
祭りなんて、ずいぶん久しぶりだったのだ。

当日は古い町並み通りをぶらぶらと歩いて、団子や飛騨牛コロッケをむしゃむしゃやり、いつも行列ができている高山ラーメンのお店を素通りし、国分寺の銀杏を眺め、市内中央を流れる宮川の河川敷で秋空を見上げて過ごした。

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そして、表通りをねりあるく祭行列と、曳き廻しの屋台の上で軍配をふるう布袋様をみまもった。

いつもは屋台会館のなかに展示されている、豪華絢爛な祭屋台が本分を発揮する貴重な機会なのだ。お祭りの目玉なのだから、しっかり写真におさめなければ! と、カメラを構えていた私は、こんどこそ「お客さま」のひとりだった。

ただし、「お客さま」たちと私のあいだには決定的な差異があった。

旅行客にカップルや家族連れ、ツアーの団体さまがほとんどだ。
だれかと思い出をともにしたい。あなたといっしょにいたい。そう思うからひとはだれかと旅をするのだろう。

彼らがならんで観るものを、そのとき私は独りでみていたのだ。

どれもこれも自分で決めたすえの選択で、ここもまだ経由地だ。
いまさら時を遡って、もう一度やりなおしたいとも思わない。きっとまた同じような孤独を供にしてそこにいる。

大学にいても、大学にいなくても、私の目的地はいつも変わらなかった。
それを手放すことがどうしても不可能で、そうやって自分の都合を優先してきた私は、目の前のひとに優しくするタイミングを逃していたはずだ。
きっとそのせいで、掴めなかった夢も、握れなかった手もある。

とどのつまり、臆病のせいだ。「仲居さん」として一期一会を演出するのは得意なくせに、すえながく隣にいられるように、心を尽くして関係性を深めていく段階になると、とたんに足踏みしてしまうのだ。

たしかにそばに居たかったはずなのに、ほかでもないあなたに優しくできたらいいのにとおもうのに、後悔をしながら別れて、また月だけが明るい帰り道を歩いている。そんなことの繰り返しだ。

でも、ひとりでいるとふと、会いたい人の顔を思い出す。

内弁慶で格好つけたがりの自分は「一緒に旅行しよう」なんて、なかなか誘えないくせに、旅先で見たものを誰かに共有したくてたまらなくなる。

そんなとき、やはり文明の利器は便利なものでして。
私は訪れた旅先でたくさん写真を撮ることにしている。

見て見て! と隣にはいない誰かの手を引くようにコメントを添えて、SNSに写真をアップしたりして。ひとりでいても誰かといるつもりに、いくらでもなれる。そういう旅の楽しみがあってもいいはずだ。

秋にして町を離れ


旅は、すればするほどさみしくなる。さよならの時間がかならずやってきて、そのとき鞄に詰められる荷物しか持ち帰れないから。

高山を離れる最終日、私は初めて自分が引っ越しが苦手だと知った。社員寮の一室を引き払うことが悲しくて、ともに働いて優しいものをくれたひとたちと別れる明日が寂しかった。

どんな土地も、旅人にとっては日常を離れた異郷だ。
あるひとは余暇を有意義に過ごすため、またあるひとは終生の楽園を求めるため、見知らぬ土地を訪れひとときの宿を探す。

けれどそうしていちど逗留した土地というのは、自分の一部になるものだ。
ただの1日でも、1週間でも、数ヶ月以上におよぶ長旅でも。

きっと次に訪れるとき、私の存在は高山の町には、ありふれた異邦人のひとりとして映るだろう。けれど、こちらにとっては完全なるヨソではない。

ニュースキャスターが教えてくれるあの町の初雪を、よろこぶひと、かなしむひと、あたりまえに積もらせる屋根。そこに自分はもういないのに、どこか他人事ではないように想像できる。その、喜び。

見知った旅先が増えるごとに、世界は少しずつ明るくなるような気がする。
劇的ではないかもしれないけど、そんなささやかな変化をくれるから、私は旅が好きなんだ。


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