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死ぬんなら右手置いていってね

少女マンガはりぼん派で、特に種村有菜先生が大好きだった。(りぼんでは漫画家の方達を先生って呼ぶから、先生をつけないと違和感がある。他の雑誌だとどうだったんだろう)

付録(正確には応募者全員大サービス。略して全サ)で、よく漫画原稿が入っているような紐付き封筒型のプラスチックバッグをもらった。確かアニマル横丁のキャラが描かれてた気がする。

友達の家で好きなキャラを描いてはそのバッグに入れて漫画家ごっこをしていた。夕焼けこやけのチャイムを聴きながら、自転車のカゴに封筒型バッグを入れて、締切ギリギリの漫画家という想像で海岸沿いを走って帰った。

潮風で錆びたカインズの子供用自転車にまたがり、磯くさく湿気た空気と蚊柱の中を突き進んでいたのだけど、「カゴに漫画家っぽい封筒が入ってる」だけでお花とハートと星が溢れた少女漫画の世界にトリップできた。

私が小学生のとき、種村有菜先生の『神風怪盗ジャンヌ』『時空異邦人KYOKO』『満月をさがして』が大人気だった。特に『満月をさがして』が連載されていたときは、満月ちゃんに憧れて心のノートの将来の夢を歌手にする女の子も多かった。

誰もが知っている有名作ではないかもしれないけれど、私の好きな作品に『吟遊名華』がある。ピアノコンクールで「canon(カノン)」を弾くことになった男の子が主人公で、自分のことを精霊だと言う少女「花音(カノン)」と出会う短いお話。

私はピアノ曲「canon」をどうしても聞いてみたくて、当時YouTubeなんて便利なものはなく、母の携帯電話(まだ白黒画面)に入っていた電子音で20秒ほどのカノンを、何度も何度も聞いた。

少女漫画って、女の子が生きていく上で遭遇する困難とか葛藤がちゃんとあって、その上でこんな風に美しく大人になってねってメッセージが込められていたと思う。先生や親が指し示す「世の中ってこうなってるのよ」や「こんな人間になりなさい」よりもずっとリアルな握力で女の子を引っ張ってくれた。

2021年10月のBRUTUS特別編集で、『薔薇はシュラバで生まれる』という漫画を知った。

(この特別編集号は今後何度引っ越しをしても絶対に手放さない)

1970年代の少女漫画アシスタント奮闘記で、作者の笹生那実さんは高校3年生でデビューし、自分の作品を描きながらいろいろな漫画家先生のアシスタントを経験。締切前の漫画家とアシスタントたちが夜も昼もなく作画作業に追われるマンガ制作の現場をシュラバと呼んだ。

少女たちの夢を作っていたのは、同じようにかつて漫画に夢を見た少女たち。自分も漫画家として活動する中で、憧れの先生たちの家や旅館でカンヅメになり、文字通り寝食を忘れて原稿制作に没頭する。

襖には墨汁が飛び散った痕があり、食べるのは片手で食べられるもののみ。利き手は決して止めない。まさにシュラバ。読んでいてアドレナリンが出てくる。

過酷な環境でも、さすが少女漫画の制作現場。登場人物はみんな少女漫画家やその卵。憧れの先生のお茶目な一面に、漫画に登場するかわいいキャラを重ねてみたり、先生の上品な服装から美しい人柄を感じたり。漫画家とアシスタントたちは、上司と部下でも、先輩と後輩でもなく、お姉様と妹たちのような関係性だ。

タイトルにした「死ぬんなら右手置いていってね」は、主人公がアシスタント時代、ガラスの仮面の作者美内すずえ先生から言われた一言。

主人公の笹尾さんは、初めて美内先生のアシスタントを務めたとき、平行に描かなければならない縦線で定規を使わず、ひどい線を描いてしまう。申し訳なさのあまり先生の顔を見ることができず、その後も謝罪の機会を逃し続けてしまった。7年後の出版社パーティーの帰り、たまたま2人で歩く流れになり、思い切って話を切り出す。

「先生っ!! あの…あの…私……昔…初めてアシをしたときのこと…」
「へ?」
「お…思い出すと…今でも…も…申し訳なくて…死んでお詫びをしようかとぉぉ〜!!!」

「……あんたの命なんかいらんわい!あ 命はいらんけどその右手なら欲しいわ!死ぬんなら右手置いていってね
「せ…先生…じゃ…じゃあ…(いいんですね?この右手でも…!そして…いいんですね!?命はどうでも…!)」

笹生那実 2020『薔薇はシュラバで生まれる―70年代少女漫画アシスタント奮闘記―』イースト・プレス

心酔している先生からの激励で、これ以上って無いんじゃないか。戦力にしてもらえるって一番の慰めだ。この漫画の中で一番好きなシーンになった。

『薔薇はシュラバで生まれる』の魅力はこのタイトルに詰まっていて、かつて少女の私たちをときめかせた少女漫画が、どれだけ過酷な世界で生まれたかの裏話的な面白さ。主人公の笹尾さんが、どんなシュラバでも、先生の生み出す漫画を前にすると瑞々しい少女心をときめかせるところ。ヘヴィーだけどかわいい。可憐だけど強い。

ただの修羅場じゃダメなのだ。薔薇を生むシュラバだからかっこいい。

歌手の大森靖子さんが自身のエッセイで「かわいいはかっこいいよりもかっこいいこと」(大森靖子 2018『超歌手』株式会社PHP研究所)と言っていた。美内先生の「死ぬんなら右手置いていってね」には、少女のために薔薇を生み出すお姉様の、かっこいいよりもかっこいいかわいさがある。

いつの間にか少女漫画を読まなくなって、気づけばアラサーの大人になった。強くならなきゃいけない出来事がたくさんあった。空元気で笑顔にならなきゃいけないことも、たくさんあった。戦い方を教えてくれたのは少女漫画だ。男性の真似をしなきゃいけないんじゃなく、女性の強さがあるということ。かっこいいよりもかっこいいかわいさを授けてくれた、女性世界の先輩たち。導いてくれてありがとう。

漫画という形ではないだろうけど、いつか私もこれから先を生きる女の子たちに何かを残したいと思う。女の敵は女、なんて言葉もあるけど、お姉さんはいつだって妹に弱い。妹たちの薔薇のためなら、年上のお姉さんはシュラバを乗り越えられるのだ。



2022/7/26 追記
『薔薇はシュラバで生まれる』の作者 笹生那実さんにこのnoteを読んでいただけました!

note公式アカウントでこのnoteを紹介していただけました!

note公式アカウントの7月のお祝いで、作者の笹生那実さんがnoteを読んで下さったことをお祝いいただきました!


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