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「Stand up and fight」としか言わなかったのは、やはり誤りのようだった。

これは暗い話じゃないのだけど、3歳から22歳まで父親がいなかった。3歳で親が離婚して、22歳で母が別の人と再婚した。最初の父親とは3歳以来会ってない(たぶん)

父親がいないだけで不幸なイメージを持たれることがある。でも正直、大した問題じゃなかった。そもそも「父親がいない」というより、私の家族構成に父親って枠がなかった。椅子に人が座ってないんじゃなくて、椅子がないみたいな感じ。だから寂しいとか、欠けていると感じたことがない。

兄がいないとか、従兄弟がいないとか、そういうのと同じ。

ただ、一度だけ、父親がいない"まずさ"みたいなのを感じたことがある。小2のときだった。
体育の授業で、指定された回数なわとびを跳んだあと、先生の周りに集合した。40〜50代くらいの男の先生で、鉄拳制裁をするちょっと怖い人だった。

先生がこのあとの指示を出していたのだけど、私はなわとびの長さ調節部分が絡まってることが気になってしまって、話を聞かずに結び目をいじっていた。
先生の説明の声が中途半端なところでピタッと止まり、顔を上げると、皺がよった眉の下、細めた目で真っ直ぐ私をみて、手招きをしてた。歩いて行ったら、頭の上から地面が揺れるような大きな声で怒られた。自転車から転ぶ瞬間みたいに一気に汗が噴き出して、先生が背中を向けてから、やっと涙が出てきた。

男の人に怒鳴られた最初(で今のとこ最後)の経験だった。

「え、みんなお父さんに怒られるときあんな怖い思いしてるの?」
怒られたことより、反省より、自分以外の子どもたちが、あんな大きくて低い声で怒る大人と一緒に暮らしているという衝撃。

今思えば拡大解釈もいいところだな。AちゃんとBちゃんが違うように、Aちゃんの父親とBちゃんの父親は違うのだ。けど当時の私にとって「大人の男の人」は個別の人間じゃなくて大きな概念だった。全員、先生みたいに大きくて怖い声で怒るんだと思い込んだ。

「父親がいる子たちは、あんな怖い怒られ方してるのか。あんな怒鳴り声を何度も乗り越えた子と私じゃ、大きな差ができるぞ」

重要度高、緊急度低のこの問題は、中学に上がるころ明確なコンプレックスになった。

課題:私、他の子が父親から与えられる試練を乗り越えてないから、弱っちい大人になりそう

中学に入ると、毎朝読書の時間があって、私は藤原正彦さんの本を読んでいた。めざましテレビの書籍売り上げランキングで紹介されてた『国家の品格』が面白かったので、彼のエッセイを買い集めた。エッセイはタイトルに「数学者」と入っているものが多いけど、もちろん数学の知識はいらないし、読みやすくて、1人の人間、男性、夫、父としての日常がユーモアと機知に富んだ文章で綴られている。

数学者の頭を通して見る、ケンブリッジ大学教授の生活、アメリカの大学生のテストの解答、都はるみの歌謡、日本文学、炎天下で決死のナンパ、空港でバナナを持ち込む・持ち込まないのトラブル、全部が新鮮で面白かった。

この面白味の例を挙げると、俳句を幾何で解釈するこの文章。タイトル通り『数学者の言葉では』って感じがする。

高校の頃の試験に、いくつかの有名な俳句が並べられていて、それらを解釈せよという問題が出されたことがある。私は当時、「俳句は絵画であり、詩は音楽である」と考え、このヘンな発見(?)に酔っていたから、すべてをこの立場から統一的に解釈しようとしていた。だから、「菜の花や月は東に日は西に」に対しては、「黄色(菜の花)、青白色(月)、赤色(日)の作る一直線の美」としたし、「朝顔につるべとられてもらい水」には、「直線(つるべ)、円(朝顔)、らせん(朝顔のつる)の幾何学的調和」などと答案に書いておいたが、どれも0点だった。
藤原正彦 1984『数学者の言葉では』新潮文庫

私の本棚の「藤原正彦コーナー」は、地元のどの本屋さんよりも充実していた。

藤原さんは、3人の息子の父でもあった。私は藤原さんの本を読みながら、いったん、この人を父親だと思って、書いてあることを実践してみることにした。

思考は言葉で作られるから言葉をたくさん覚えようとか、国際人になるのに大切なのは英語力よりも確固としたアイデンティティだとか、エッセイからそういうヒントを拾っては、親に言われた程度に守ってみたりした。

一番お気に入りのエッセイ『遙かなるケンブリッジ』に、当時5歳の次男、次郎くんがイギリスの学校でいじめられる回がある。藤原さんは、いじめられてもやり返さない次郎くんに憤慨し、「Stand up and fight」と伝える。イギリス人に負けるな、日本人の強さを見せてやれと発破をかけるけれど、次郎くんの顔は浮かない。

ある日、次郎くんは6人に手ひどく殴られ、ボロボロになって帰ってくる。それまでやり返さない次郎くんに向かっていた怒りが、加害者の少年たちに向かい、ついに学校にいく決意をする。

全く数学に身が入らなかった。ここ二ヶ月を振り返り分析してみた。次郎に「Stand up and fight」としか言わなかったのは、やはり誤りのようだった。なぜ、あれほど闘うことに執着したのか。私自身の問題でもあったのだ、と思った。そう意識したのはこの時が初めてだった。世界に名だたる数学教室の、天才秀才を相手に、乏しい能力を全開にして孤軍奮闘していたからだった。無言のうちにもひたひたと押し寄せる重量感に押しまくられながら、必死に頑張っていたからだった。
藤原正彦 1994『遙かなるケンブリッジ』新潮文庫

このシーン、13歳の私にとって結構衝撃だった。大人も間違えるのか。子どもに強く言い聞かせたことを、後から間違いだったと悔やんだりするのか。不安になったり、私情を挟んだりするのか。

低くて大きな声を出す人間も、迷ったり躊躇ったりしながらその言葉を吐き出していて、後から悔やんだり、恥ずかしくなったりする。体の構造上、彼らの喉は出力が大きくて、その分「やっちゃったな」って気持ちも私より大きいんだろうか。

ドッジボールでうっかり顔にボールを当ててしまい、相手が泣き出しちゃったときみたいな気持ちを、胸の底にひっそり飼い続けているのか。

私が「先生の話をちゃんと聞かなくてごめんなさい」って言うのと、「さっきは大きい声を出しすぎたよ、ごめんな」って言うの、後者の方がなんだか大変そうだ。

結局、校長先生に相談したことで、次郎くんのいじめ問題は解決する。

「次郎君。話したいことがあるからこちらに来なさい」
次郎は怪訝な顔付きで、私の後について来た。 「次郎、パパが悪かった。いじめられる度に、闘え闘えと言い続けたのは、パパの間違いだった。弱虫と罵ったのも間違いだった。ここに謝まる」
そう言って、キョトンとしている次郎を抱きしめた。つやのある髪を何度も撫でながら、
「これからはパパが次郎を守ってやる。何が起きても絶対に守ってやるからな」  と言ったら、私の熱い胸の内には無頓着な様子で、
「ウン」
とだけ言って、ニッコリすると、階段を一目散に駆け上がって行った。
藤原正彦 1994『遙かなるケンブリッジ』新潮文庫

読み返して思ったけど、やっぱり父親がいることが羨ましかったのかもしれないな。大きな声で怒られたら怖いけど、その声で応援され、守られるのはきっと心強いんだろう。

今の父は、私が22歳のときに母と再婚したから、さすがに私に大声で怒ってくることはない。上司に怒られたこともたくさんあったけど、怒鳴るタイプの人じゃなかった。

私を本気で怒鳴りつけた大人の男性は、小2のころの体育の先生1人だ。
「人が話している時になわとびをいじるな!」
確かに私が悪かったけど、あんなに怒鳴ることないよな。先生、言いすぎたって思ったかな。思ってなさそうだな。

先生は怒ると怖いけど、怒りを引きずらない人だった。先生に殴られた子が、翌日には先生にじゃれついて、アザの残る頬で笑っているのを見たことがあった。
私は怒鳴られて以来、先生のことが怖くなっちゃった。私にとって「怖いけど甘えていい人」って概念がなかったから。私からすっぽり抜けているこの概念、「父親」が座る席だったのかな。

先生は多分いま、60代か70代くらい。今でも教え子が訪ねてくるタイプのおじいちゃんになってると思う。ひと目会いたい気もするけど、やっぱり私じゃ、気さくに話せないだろうな。また手いたずらをして、もう一回怒鳴ってくれたら、「これ怒られるの2回目なんですよ」くらいは返せそうだ。



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