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稲村君が自分のことを俺というところを、今、はじめて聞いたかもしれない。

スペックじゃハマれないって思うのだけど、正直なところどうですか?よく、婚活女性の高望みがネットの記事で叩かれてる。年収1000万以上じゃなきゃ嫌だとか、身長180センチ以上だとか。

本当にスペックに恋できる女性が一定数いるのかな。ちょっと、メディアが作った偶像って気がしなくもない。
たしかに収入とか外見って魅力のひとつだけど、スペックのかき集めじゃ心って動かない。存在にハマっちゃって、癖になるところまでは届かない。

これは友達でも同じで、この人次になにを言い出すんだろう、今のテレビCMをどう思ったんだろうってワクワク感があると、関係が長続きする。少なくとも私はその人にハマってしまう。

ハマる・癖になるってのは私にとって最上級の賛辞で、一番キレイでも、一番賢くもなくて良いから(無理だから)、一番癖になる人間でありたいなって思う。

癖になる人っていうのは、例えば今まで見たことのないタイプの映画を見て、なにか思うところはあったけれどうまく解釈できなくてモヤモヤした気分のときに、「この映画、どう思う?」って聞きたくなる相手のこと。

「子どものころ、どんなタイプの子だった?」って聞きたくなるような相手。柄にもなく何かクリエイティブなことをしたときに、作品を見せたくなるような相手。

その人を通したらどう見えるのかな?ってドキドキしちゃうような、プリズムのような人。

私の目指す最終形態は、独自の価値観と感性があり、それを守る意地と、人に押し付けない諦念を持ったおばあちゃんだ。「こんな人がいたらハマっちゃうな〜」って人物像を考えては寄せていくのをあと40年もやったら、なれるんじゃないかと思っている。

「この人、理想像だな〜」って人物は何人かいて、そのうちの1人が朝井リョウさんの短編小説『蜜柑ひとつぶん外れて』(『発注いただきました!』収録)に出てくる稲村君だ。

アサヒビールの案件で、「ウイスキーっておもしろい」を伝える小説という注文のもとで書かれた短編らしい。

主人公の真央はみかん農家の末っ子で、就職を機に上京してきた。卒業アルバムで「いいお母さんになりそうな人ランキング」1位になるようなタイプ。同期の紹介で出会った年上の男性、城野さんは、業界の有名人。仕事ができて大人で、真央を回らないお寿司やバーに連れて行ってくれる。

真央は城野さんのデートを、自分にはもったいない、ありがたいと思いながら、どこか窮屈さも感じている。

「ジンフィズを飲めば、バーテンダーの実力が分かるんだよ」城野さんは、声を潜めてこう続けた。ジンが多いとレモンの酸味が薄れるし、レモンが多いと酸っぱくなりすぎるし、砂糖が多いとジンもレモンも消えちゃうし、ソーダが多いと薄くなるし––私は、すごい、知らなかったです、すごい、と相槌を打ちながら、別のお酒を飲みたい気持ちを抑えた。城野さんが語る私の知らない世界のルールは、いつも正しくて、逆らうことができない。

朝井リョウ 2020 『発注いただきました!』集英社

ついに城野さんの部屋に行った日、真央がお裾分けした実家のみかんがそのままゴミ箱に捨てられているのを偶然見つけてしまう。城野さんがシャワーを浴びている間に部屋から飛び出し、それきりになった。

少し省略して、最後のシーン。会社の若手飲み会。真央は城野さんとうまくいかなかったことを、同期の男の子に非難される。城野さんみたいなすごい人がお前をいろんなところに連れて行ってくれるのに、と。言い返したいけれどうまく言葉にできない。

真央は離れたテーブルに1人で座っている、稲村君を見つける。同い年だけど転職組で、口数が少ないためどんな人なのかイマイチわからない。同期たちが細長いグラスを持つ中、稲村君は飲み口が広く背丈の低いグラスでウイスキーを飲んでいた。

稲村君は、以前、真央がお裾分けした実家のみかんを、ウイスキ–で漬け込んだ話をしてくれる。城野さんからお酒や食事のルール・しきたりを教えられた真央は、ウイスキーにも難しい決まり事があるのではと聞くけれど、稲村君は気にせずみかんの漬け込み方を話してくれる。

「まず皮剥いて筋取って、半分に輪切りにして」

ウイスキーに漬け込まれるみかんを想像して、真央は「ルールから外れて自分の楽しみを見つけたい」と思っていた自分に気がつく。

ここから、真央が、城野さんとのデートで感じていた違和感、本当はどうありたかったのかを稲村君に一気に吐露するシーンがすごく良い。

稲村君は、突然「バーテンダーの腕を確かめるよりもね、私は、好きなお酒を好きなように飲みたかったの」と捲し立てられて戸惑う。真央の方も、多分自分が支離滅裂なことはわかっているのだけど、きっと稲村君なら受け止めてくれるという確信と甘えがかわいい。

お酒が運ばれてきたところで会話のテンポは少し落ち着く。真央は、稲村君が自分のことを「俺」と呼ぶのを聞いてどきっとしてしまう。

俺、という一人称に、ドキッとする。稲村君が自分のことを俺というところを、今、はじめて聞いたかもしれない。

朝井リョウ 2020 『発注いただきました!』集英社

城野さんも、同期の男の子も、一人称は「俺」だ。なのに稲村君の「俺」にだけドキッとしてしまうのは、私が真央でも同じだっただろう。

城野さんのように、仕事やおしゃれ、大人の作法を極めるのは、もちろん一種の「かっこいい」だ。そのかっこよさは、頂点を目指す競技者が多い分、頭ひとつ抜ければ多くの人に賞賛される。ある意味、やればやるだけ他者に認められるかっこよさだ。

けれど稲村君は自分の楽しみを追求していて、それはいくら追い求めようと別に賞賛されないし、追従してくる人も少ない。

ヨーイドンの合図の後、城野さんや同期の男の子は、1位になるべく走り出した。けど稲村君は、面白そうだからとスタート地点の地面を掘り始める。

1位でゴールテープを切った城野さんが自信満々に「俺」と言えるのはある意味当たり前に感じる。けれど、誰も後ろについてこないし、喝采も浴びない稲村君が「俺」という矜持と荒っぽさのある一人称を使う。こういうのに女性は弱い。

すぐ横でどんな競争が起きようと、自分の楽しみを追える強さ。自分を認めさせようと躍起にならない、しなやかな諦め。
ここに「俺」って一人称が加わって、ちょっと足元がぐらっとくるくらいの魅力になる。

この魅力はスペックじゃ作れない。稲村君は、私がなりたい、ハマっちゃう人間の代表格のような人だ。

さすがに一人称を「俺」にはしないけれど、彼のそれに代わるなにか艶っぽいものを、おばあちゃんになるまでに見つけなくては。


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