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小指の血をばいざ口にせよ

「このときの気持ちを歌に詠む」って、人間の感情表現として独特すぎない?国語の授業では当たり前みたいになっていたけど。

私たちは高校一年生の春、ピカピカの古典の教科書を開かされ、「では教科書の右ページ、紀貫之が梅の枝を一つ手折って詠んだ歌です」なんて言われて、「なんでそんなことするんですか?」と聞く間もなく、昔の人は歌を詠むのがルーチンなのかなと思うしかない。
光源氏はこのときの気持ちを歌にしました。なんでだよ。

自分の気持ちをわざわざ五・七・五・七・七にする動機なんて気にしても意味がなくて、大事なのは入試に出る単語と助詞と助動詞活用と文学史とかもっぱらそのあたり。
語呂合わせで暗記したらはい次、次。曖昧さを強いてくるくせに点数はつき、ただし極めても50点満点。効率重視な学生たちは古典ダンジョンのやり込み要素を全スルーだ。

はたして、私は効率の悪い学生だったので、歌人と呼ばれる彼らがなぜわざわざ和歌を詠んだのか気になって仕方がなかった。『和歌』と『歌の意味』をノートに写しながら、「歌の意味の方を直接伝えたらいいのに」と思っていた。当時16歳。

干支を一周した今、「なぜ歌を詠むのか」、わりとしっくり来ている答えがある。

と言っても、論理的で理路整然とした答えを持ってるわけではなくて、「これ答えだろ」って歌があるだけ。

京の紅は君にふさはず我が嚙みし小指の血をばいざ口にせよ

与謝野鉄幹

『君死にたまふことなかれ』で有名な歌人・与謝野晶子の夫であり歌の師匠であった与謝野鉄幹が、晶子に送った歌だ。「小指」は「こゆび」ではなく「おゆび」と読む。

京都の口紅は君にふさわしくない。俺が噛んだ小指の血をその口に塗りなさい。

与謝野鉄幹は恋多き男で、初めての結婚相手はかつての教え子である信子。離婚した後、また別の教え子、滝野と再婚。弟子の晶子と不倫をし、滝野と離婚して晶子と結婚。晶子との不倫中も、同じく弟子で晶子の戦友でもあった山川登美子と三角関係を継続していた。

文学者には女泣かせと呼ばれる人も多いが、頭ひとつ抜けているように思う。

女泣かせってのは、常にその男のために泣く女がいるから成立する。鉄幹は、好きになっちゃいけないのに女が狂っちゃうタイプの男なのだ。

誰だって、「京都で買ったその口紅、似合ってるね」と言われたら嬉しい。こういうことをマメに言ってくれる人と居れば毎日幸せな気持ちで生きていけることも知っている。けれど、

『京の紅は君にふさはず我が嚙みし小指の血をばいざ口にせよ』

こんな歌を送ってくる男と居たら、色んな意味で気が気ではない。何を言っているかも大事だが、一番重要なのはこれが歌になっていることだ。

日本語が一番美しく響く五・七・五・七・七の調子にのせて、まず『京の紅は』。kyou-noと静かなフェードインで始まり、『紅』(beni)は音も字も強く艶かしい。『君にふさはず』。ここを「似合はず」ではなく「ふさわず」として晶子を京の紅より上に持ち上げているところなんて完璧。

『京の紅は君にふさはず』と、上等な口紅とその紅ですら見劣りするほどの君に話を寄せてからの、荒々しい『我が噛みし』。日本語が主語を省略しがちなのは和歌の世界でも同じで、この『我が』はだからこそ印象が強い。自分を思い浮かべろ、と言わんばかりだ。

『小指の血をばいざ口にせよ』。『をば』は強調。『いざ』で対応を余儀なくさせ、命令の『口にせよ』。これ以上の口説き文句を、源氏物語にも伊勢物語にも読んだことがない。

『京の紅は君にふさはず我が嚙みし小指の血をばいざ口にせよ』

歌の恐ろしいところは、一言一句覚えられてしまうところだ。五・七・五・七・七の31文字(この歌は32文字だけど)にのせられた言葉を、私たち日本語話者は忘れられないように作られている。

歌は、相手に自分を忘れさせない仕掛けだ。

(「呪い」と言っても「祝い」と言っても良いけれど、恋の歌はどちらでもない気がする。良い表現がみつからないので、暫定、仕掛けと書いておく)

絶対に忘れず、色褪せず、変化もせず、いつまでも自分のことを考えていてほしい。

何年経っても、どこに行っても、今この気持ちに戻ってきてほしい。このエゴを達成するための最高の発明が歌なのだ。


鉄幹の歌が晶子に届いたかというと、ばっちり晶子からの返歌がある。

もゆる口になにを含まむぬれといひし人のをゆびの血は涸れはてぬ

与謝野晶子

私の燃える口に、何を含めば良いのでしょう。塗れといった人の小指の血は涸れ果ててしまいました。

なんだか不穏。なぜかというと、このとき鉄幹は、晶子と登美子、2人の弟子と三角関係の真っ最中だった。

恨み言ではあるのだけど、何を恨んでいるかって、「私の唇は燃えているのにあなたの指の血は涸れ果ててしまったのね」。完全に火がついた上での恨み言だ。

鉄幹と晶子と登美子。互いに恋愛感情、尊敬、友情の矢印を向け合う。3人の歌人はその気持ちをその時々に歌に残して縫い留めている。

晶子と登美子は恋のライバルである前に、女流歌人として苦悩を分かち合う戦友でもあった。女が女に送るエールで、世界一かっこいいと思う一首がある。

そのはてにのこるは何と問ふな説くな友よ歌あれ終の十字架

与謝野晶子

男性中心の文壇、家父長制の国で女流歌人として生きていく。この果てに何が残るかなんて、聞かないで、説明もしないで。私たちは、生まれながらに、死ぬまで歌わなくてはいけない十字架を背負っているのよ。

語彙力がある人や、文学部を卒業した人が歌人になるのではない。歌人は、忘れないでほしいことがたくさんある人なのだのだろう。

今週、仕事終わりのカフェで与謝野晶子の『みだれ髪』を久しぶりに開いた。鉄幹の言う通り、化粧なんて邪魔になってしまうくらい、愛と才能と情熱が匂い立つ人だ。

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