細胞膜が定常開放系であることは、生命が定常開放系であることの起源であるような気がする
生き物と、生き物でないものとの違いってなんだろう?
① 自分で増えられるかどうか。
② 中身の分子や原子が入れ替わるかどうか。
③ 実は、区別なんてできない。
いや、僕も正解は知らないんだけど。
①は、よく言われることだし、分かりやすい。生物は殖える。
②は、確かに石ころや機械の中の原子は、基本的には入れ替わらない。
③はないかな。生物とそうでないものって、なんか全然違う気がするし。
定常開放系
定常開放系っていう、ちょっと耳慣れない言葉がある。
ほんとうは、「散逸構造」という呼び方の方が正式なのかも知れない。でも今回の場合は、「定常開放系」の方が僕が言いたいことをよりよく表しているように思うので、こちらの言葉を使いたい。
定常開放系っていうのは、
入口も出口も、外の世界に開いてるのに(開放)、
そこに変わらぬ何かがあるように見える(定常)、
モノゴトや現象(系)、
のことだ。
入口も出口も開いてるから、物質やエネルギーが常に流れ込んでいて、そして流れ出ていく。
例えば、煙突から立ち昇るケムリ、なんかは定常開放系の例だろう。
かまどで火を焚いていて、かまどの上には煙突がある。
かまどの火から出るエネルギーや、細かな燃え残りなどの物質が、ケムリとなって立ち昇り、やがて大空に消えていく。
つまり、
ケムリは常にそこにあるように見えるけど、
ケムリには常にエネルギーや物質が流れ込み、
そして、流れ出ていく。
というわけだ。
これが定常開放系だ。
夏空にでっかくそびえる入道雲や、川の流れの中にできる渦なんかも、定常開放系の例だと思う。
そして、生き物も。
生物は定常開放系
僕たち動物は、日々、
食べ物を食べて、
食べ物からエネルギーを取り出し、
走り回ってりしてエネルギーを発散し、
食べ物を材料にして体を作り、
残ったものや、古くなった材料を、排泄している。
つまり日々、エネルギーと物質を取り込んで、そして排出している。
なのに、今日の僕は、昨日の僕と同じ僕だ(というつもりでいる)。
僕たちは、定常開放系そのものだ。
僕たちの体を構成する原子は、1年も経てばほぼ全て入れ替わってしまう。それなのに、去年の僕と今の僕は、連続したひとりの僕だと感じられるのはなぜだろう。
それどころか、昨日の僕と比べても、今の僕はもうすでに原子が少し入れ替わっていて、物質的には同じ僕とはいえないかも知れない。それでも、今朝起きた時の僕は、昨日の僕と同じ僕のつもりでいる。
生き物は、エネルギーや物質の流れの中に一時的に現れる、ケムリのようなものかも知れない。ケムリを構成する原子は激しく入れ替わっているのに、ケムリは常にそこに立ち上っているように見える。
この不思議さはなんだろう。
この底知れない不思議さを解き明かすのは難しい。
でも、ヒントはある。
ヒントのひとつは細胞膜だと思う。
細胞膜は定常開放系
細胞膜は、リン脂質という分子でできていて、
水の中でリン脂質がこんな感じで集まって、膜を作る。
膜は、こんな感じで、袋になる。
リン脂質は膜の中に固定されているわけじゃなくて、ただ集まっているだけだ。なので、リン脂質はけっこう自由に膜を出入りできて、けっこうなペースで入れ替わっていく。
単に「リン脂質」という分子が入れ替わるだけじゃない。リン脂質を合成するにはエネルギーが要る。だから、リン脂質の出入りは、エネルギーの出入りでもある。この、リン脂質でできた袋には、エネルギーの流れがあるのだ。
そして、にもかかわらず、この袋はここに常にあるように思われる。これは定常開放系そのものだ。
そしてこの袋こそが、細胞の一番外側、細胞膜なのだ。細胞や、僕たちのような多細胞生物が定常開放系そのものであるのは、ここに由来する気がする。
生命誕生と、細胞膜
そんな気がする理由は、近年の研究では生命誕生の時には、最初にこの膜の袋があったらしいからだ。なんと、遺伝子が先ではなかったらしい。
なので、この膜でできた袋の移ろいやすさこそが、僕たちの移ろいやすさの起源ではなかろか。などと言うと、言い過ぎだろうか。
そして以前にも書いたけど、太古の海、つまり岩石と水と、水に溶けている単純な無機の塩類だけの世界で、どうやってアミノ酸とかリン脂質とか、そういうやや大きめの有機分子が合成されたかについては、正しそうな仮説がある。
その有機分子たちが、どうやって十分な濃度に濃縮されたかについても、仮説がある。
そしてリン脂質の場合、十分に濃縮されてしまえば、あとは自分たちで勝手に袋になるのだ!
こう考えると、岩と水だけの、生き物の気配がまったくない太古の海で、最初の細胞が自発的に誕生したというのも、そんなに突拍子もないストーリーではないように思えてくる。
それどころか、生物とそうでないもの、という分け方にはあまり意味がないような気すらしてくる。
つまり冒頭に書いた質問の答えで、
③ 実は、区別なんてできない。
は、違和感がある気がしたけど、実は真実に近いのかも知れない。
そんな気がしてくる。
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