001_脂質の出入り

細胞膜が定常開放系であることは、生命が定常開放系であることの起源であるような気がする

生き物と、生き物でないものとの違いってなんだろう?
 ① 自分で増えられるかどうか。
 ② 中身の分子や原子が入れ替わるかどうか。
 ③ 実は、区別なんてできない。

いや、僕も正解は知らないんだけど。
①は、よく言われることだし、分かりやすい。生物は殖える。
②は、確かに石ころや機械の中の原子は、基本的には入れ替わらない。
③はないかな。生物とそうでないものって、なんか全然違う気がするし。

定常開放系

定常開放系っていう、ちょっと耳慣れない言葉がある。
ほんとうは、「散逸構造」という呼び方の方が正式なのかも知れない。でも今回の場合は、「定常開放系」の方が僕が言いたいことをよりよく表しているように思うので、こちらの言葉を使いたい。

定常開放系っていうのは、
 入口も出口も、外の世界に開いてるのに(開放)、
 そこに変わらぬ何かがあるように見える(定常)、
 モノゴトや現象(系)、
のことだ。

入口も出口も開いてるから、物質やエネルギーが常に流れ込んでいて、そして流れ出ていく。

例えば、煙突から立ち昇るケムリ、なんかは定常開放系の例だろう。
かまどで火を焚いていて、かまどの上には煙突がある。
かまどの火から出るエネルギーや、細かな燃え残りなどの物質が、ケムリとなって立ち昇り、やがて大空に消えていく。

つまり、
 ケムリは常にそこにあるように見えるけど、
 ケムリには常にエネルギーや物質が流れ込み、
 そして、流れ出ていく。
というわけだ。
これが定常開放系だ。

夏空にでっかくそびえる入道雲や、川の流れの中にできる渦なんかも、定常開放系の例だと思う。

そして、生き物も。

生物は定常開放系

僕たち動物は、日々、
 食べ物を食べて、
 食べ物からエネルギーを取り出し、
 走り回ってりしてエネルギーを発散し、
 食べ物を材料にして体を作り、
 残ったものや、古くなった材料を、排泄している。

つまり日々、エネルギーと物質を取り込んで、そして排出している。
なのに、今日の僕は、昨日の僕と同じ僕だ(というつもりでいる)。
僕たちは、定常開放系そのものだ。

僕たちの体を構成する原子は、1年も経てばほぼ全て入れ替わってしまう。それなのに、去年の僕と今の僕は、連続したひとりの僕だと感じられるのはなぜだろう。

それどころか、昨日の僕と比べても、今の僕はもうすでに原子が少し入れ替わっていて、物質的には同じ僕とはいえないかも知れない。それでも、今朝起きた時の僕は、昨日の僕と同じ僕のつもりでいる。

生き物は、エネルギーや物質の流れの中に一時的に現れる、ケムリのようなものかも知れない。ケムリを構成する原子は激しく入れ替わっているのに、ケムリは常にそこに立ち上っているように見える。

この不思議さはなんだろう。
この底知れない不思議さを解き明かすのは難しい。
でも、ヒントはある。

ヒントのひとつは細胞膜だと思う。

細胞膜は定常開放系

細胞膜は、リン脂質という分子でできていて、

001_リン脂質のかたち

水の中でリン脂質がこんな感じで集まって、膜を作る。

画像2

膜は、こんな感じで、袋になる。

006_脂質二重膜の袋_1

リン脂質は膜の中に固定されているわけじゃなくて、ただ集まっているだけだ。なので、リン脂質はけっこう自由に膜を出入りできて、けっこうなペースで入れ替わっていく。

001_脂質の出入り

単に「リン脂質」という分子が入れ替わるだけじゃない。リン脂質を合成するにはエネルギーが要る。だから、リン脂質の出入りは、エネルギーの出入りでもある。この、リン脂質でできた袋には、エネルギーの流れがあるのだ。
そして、にもかかわらず、この袋はここに常にあるように思われる。これは定常開放系そのものだ。

そしてこの袋こそが、細胞の一番外側、細胞膜なのだ。細胞や、僕たちのような多細胞生物が定常開放系そのものであるのは、ここに由来する気がする。

生命誕生と、細胞膜

そんな気がする理由は、近年の研究では生命誕生の時には、最初にこの膜の袋があったらしいからだ。なんと、遺伝子が先ではなかったらしい。

なので、この膜でできた袋の移ろいやすさこそが、僕たちの移ろいやすさの起源ではなかろか。などと言うと、言い過ぎだろうか。

そして以前にも書いたけど、太古の海、つまり岩石と水と、水に溶けている単純な無機の塩類だけの世界で、どうやってアミノ酸とかリン脂質とか、そういうやや大きめの有機分子が合成されたかについては、正しそうな仮説がある。
その有機分子たちが、どうやって十分な濃度に濃縮されたかについても、仮説がある。
そしてリン脂質の場合、十分に濃縮されてしまえば、あとは自分たちで勝手に袋になるのだ!

こう考えると、岩と水だけの、生き物の気配がまったくない太古の海で、最初の細胞が自発的に誕生したというのも、そんなに突拍子もないストーリーではないように思えてくる。

それどころか、生物とそうでないもの、という分け方にはあまり意味がないような気すらしてくる。

つまり冒頭に書いた質問の答えで、
 ③ 実は、区別なんてできない。
は、違和感がある気がしたけど、実は真実に近いのかも知れない。

そんな気がしてくる。





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