見出し画像

終わりの季節ーあるがままの自分では愛されないと思いこんでいたー

「しばらく会えない」
わたしにとって秋は終わりの季節である。
今年も例に漏れず、ひとつの関係が終わった。

知り合いに紹介された年上の彼から距離を置こうと切り出されたとき、わたしは自分を否定されたように思い、傷ついた。

恋愛関係だとは思っていなかったが、彼を好きだったのかと聞かれると好きだったし、尊敬もしていた。わたしでは発想もできないことを当たり前のように実践し、その哲学を言葉なく提示してくる。その在りように言い様もなく惹かれた。会うたびに、話をするたびに、ふがいない自分を引っ張り上げてくれるような気がしていた。

特別な存在だった彼の日常に無意識に入り込もうとしている自分がいたことに気がついた。自分の意見は言わず、相手が気に入る自分を演じようとする、わたしのいつもの悪い癖だった。

そしていつのまにか、自分自身が彼に望まれる存在になりたいと思っていた。

何も期待していないと言いながらも、実際に彼から肯定されたとき、思わず泣きそうになるほど心が震えた。自分を肯定できないわたしは他人の承認を求めていた。

他人からの承認ほど恐ろしいものはない。希望に応えられなくなる自分を想像するたび、あるがままの自分を殺す。

小学生の頃も、厳しい父の思うとおりの子供であろうと、必死に勉強した時期があった。友達と遊んだり好きな読書をしたい気持ちから、時には反抗した。それでも父に愛されたかった、それだけを理由に励んだ。

スパルタ教育の甲斐あって、中学は地元ではそこそこの進学校に入学した。しかしそれまでの勉強漬けの日々の反動で、遊びまわったわたしの成績はがた落ちした。定期試験では毎回下から数えた方がずいぶん早かった。中高一貫校だったので高校へはエスカレーターで進学しそのまま不良コースかと思われたが、何を思ったのか不意にサッカー部へ入部した。入部の理由は体育の授業でサッカーが楽しかったという至極単純きわまりない動機だったわけだが、その部活の顧問がこれまた厳しかった。

具体的にどう厳しかったかは割愛するが、わたしは部創立以来はじめてマネージャーの立場で顧問にものすごく怒られるという歴史を打ち立てた。

一時は退部もチラつくほど怒りを買っていたため、それなりに落ち込み、許された後も部を辞めたくない一心で、怒られないように反抗しないように自分を諫めた。その後の高校生活は円満だったが、あれは自分自身を大いに否定していたと思う。

父のために受験勉強していたときもそうだが、彼らの判断こそがわたしの基準になり、自分で考えることをいつのまにか放棄していた。

どちらにしてもわたしは愛され、肯定されたかっただけだった。あるがままの自分では愛されないと思い込んでいた。

年を重ねて、周囲の意見や過去にとらわれてばかりでは永遠に他人に認めてもらう為の人生になってしまうと気がついた。それからは少しずつ自分に正直に行動するようになった。

正直な自分でいることで、何者でもない自分を肯定できると思ったからだ。

それでも身に染みついた意識は簡単にはなくならない。おそらく消えることはないのだろう。今回距離を置くことになってしまった彼との関係はわたしにそのことを教えていた。

でもそれでいいのだと思えるときがある。他人に愛されたいと思う自分がいてもいいのかもしれない。それがわたしなのだから。

もう一度彼と会うことがあるならば伝えたい。わたしはあなたに愛されることを期待していると。


編集:円(えん)(https://note.mu/en_ichikawa)
文:ほんださち子

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?