一見、平等にみえる社会がとっても罪
私のnote、記念すべき「第1回目の記事」を書き綴っていきたいと思います。
なんだか噂によると、noteはブログより気軽に何でも書けるし、インターネットの大海原に出すにはどうなのかな…と思うような記事は有料にできるとかなんとか…。
ひとりで絶賛育児中の大黒柱の私は、邪(よこしま)な考えがよぎってしまいました…。
それはさておき、私がnoteで書き綴りたいことは「発言をためらってしまうような社会問題」。だって、生きづらいんですよ、本当に。長期的にこの生きづらさに取り組んできた私が言葉にせず、誰がするのでしょう。
特別支援学校へ通う自閉症の娘と、特別支援学級へ通う息子と、ひとり親の私。
この3人で行動していると「なぜゆえに」といった、ぞんざいな扱いを受けることもある。一方で、菩薩様のような優しい愛を注いで頂くこともある。
…その両方があるのは、なんとなく誰にでも理解できるかもしれない。
でも、最も厄介だなと思うことがあって、それは一見「平等に見える社会」が存在していることだ。
「女性の社会進出推進」
「男女平等」
「インクルーシブ教育」
「ジェンダー平等に向けた活動」などなど…。
さまざまな多様性を受ける体制を整えようとはしているのだけど、本当の意味での平等な社会は程遠い気がしてなりません。
平等を掲げられる中で、実は公平と平等の意味を取り違えている人も、とても多いもの(私も人のことは、いえないのだけれど…)。
SDGsなどの素晴らしい目標を掲げられつつも、現実の生きづらい社会との狭間で身動きがとれなくなってしまっている人は、実際増えているんじゃないかなって思ってる。
社会の意識を変えるのもとても難しいことだし、制度も整備もまだまだ発展途上中。ここは先進国なのに…。
障害を抱えた娘と障害を抱えた息子、ひとり親の私という3人家族の私達。この3人で現代社会を生き抜いていくためには、強靭な精神力で歯を食いしばって生きなければなりません。
皆さんだって、日々歯を食いしばって頑張っていることでしょう。ただね、歯を食いしばり続けて12年。人が歯を食いしばり続けるには、理不尽すぎるし異常な長さでしょう。
だからなのか、この理不尽に耐えながらなんとか、大黒柱として舵をとって生きている障害者の親御さんたちやひとり親の皆さん達は結束しやすい。
この大変な毎日の中「支援してくださってありがとうございます」としたたかに生き続けていることがお互いに分かり合っているからなのか、すぐに打ち解けやすいという特徴もある。
でもね…これは…
一見、平等に見えてしまっている社会が引き起こした「罪」ではないかと、私は考えます。
皆と同じものを与えて貰っている私達。…いや、むしろ生活強者以上にに多くの支援を与えて貰っている私達。
だから「税や制度によって優遇されているあなた方はラッキーだ」とみなされるときもある。そんなんだから「それでも上手く行かないのは、努力が足りないからなのでは?」といった雰囲気が漂うと、妙に納得してしまうときもある。
この、平等という罠の思考回路を打破していきたい…いや、今の時代で終わらせたい。
私達の子ども等が大きくなるころには、誰かが突然障害者になろうとも、誰かが突然ひとり親になろうとも、この実に巧妙な罠にひっかかることのない社会になっているといいなと…私は強く思っています。
いただいたサポートは、我が家の自閉症児2人のおやつか私の一息の休憩代に使わせてください。私もいつか、ひとり親や障害児育児にサポートできる側に回りたいです。