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病みつきになる文章

積読が大量にあるが、これを読むと他の本が読めなくなる。立ち止まってしまう作家っていますか?私にとっては、塩野七生さんや福岡伸一ハカセがそれです。近著『ゆく川の流れは、動的平衡』

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は朝日新聞のコラムを集めたもの。僅かな文章で様々な視点を我々に提示してくれています。その中でも大好きな文章は、「問い続けたい「いかにして」」です。Why(なぜ)疑問とHow(いかにして)疑問の関係。なぜは大きな疑問であり、解析度がない、いかにしてという疑問を積み重ねる話が出てきます。

だから表現者あるいは科学者がまず自戒せねばならぬことは、 why 疑問に安易に答える誘惑に対して禁欲すること。そして解像度の高い言葉で(あるいは表現で)丹念に小さな how 疑問を解く行為に徹すること。なぜなら、いちいちのhowに答えないことには、決して whyに到達することはできないからである。(171頁)

仏教もなぜ人は生まれたのか?という問題には答えない。生まれてしまったという問題から始まります。一方で、毒矢のたとえでは誰が毒矢を射ったのか?を問うより、先ず矢を抜くこと具体的な解決策を考えています。そこにあるのは理解のための分析ではなく、問題解決のための分析であるからなのでしょう。最初期の仏教(ブッダ在世の仏教)はWhyには答えないが、ある意味のHowにも答えない。(後に分析学的な発展を遂げ、違ったアプローチもおこなっているが、それはブッダ死後の話)

仏教が卓上論でないという証拠であり、いわゆる宗教や科学と一線を画す特徴を示しているのかもしれません。本書では「なぜ、いちばん最初に生命が出現したのかは、進化論も答えることができない」(193頁)ともあります。

動的平衡と方丈記の関連で

『方丈記』の冒頭ほどみごとに生命の動的平衡を言い表した文章を私は知らない。 「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとどまりたるためしなし」。あらためてこれを読んでみて大発見をした。なんと鴨長明は、消えることを結ぶことよりも先に書いているではないか! つまり、合成に対する分解の意義の優位性をすでに言い当てていたのだ。(179頁)

とあります。古の人々の観察より見えてくるもの、それはあたかも諸行無常、輪廻転生にも通じるかのようにも見えます。

今という時代を見つめるために大切な視点を与えてくれる、福岡ハカセ・・あんまりに面白いで思わず『迷走生活の方法』

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を買ってしまった。まだ積読山程あるのに…(笑)






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