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相棒

彼岸のお経周りは続いている。途中法事も入り、慌ただしい。

コロナ前に坊さんの履きものの件で問題になったこともあり、最近は運転時は、靴を履いている。

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近くのABCマートでかった千円の靴。ソフトで履きやすいし、ずれたりしないから運転も安心。

見た目は多少わるいかもしれないが安全第一。白い作務衣下とセットでまわっている。

コロナ禍でもあり、お茶は頂かない。仏具は引金木鉦を持ち込み、先方の仏具は触らない。ライターと線香にしか触れない。お経を読み、マスクごしで話す。お盆で伺えなかったことから考えれば…個人的にはほっとしながら、体調を聞いたりしている。

今回のお経回りで頂くものの変化は、この2年間の傾向でもあるが…お菓子が著しくへり、お茶のペットボトルが増えた。

おそらく、お客さんが来てもお茶菓子を出さない、出せない。お茶も出せない。ペットボトルを渡して、その場で飲む。持ち帰って貰うが基本になっているのであろう。感染症対策なのだろう。

特効薬が出来るまで、おそらくこのような状況は続く、ことは善悪ではないから…どうにもできないが…

後ろ向きな話だが、なんとなく嬉しい?話かな…


一周忌の法事の前に、故人を失い一年たちどんなことを思っているかを参列者5名に聞いた。異口同音に傍らに故人がいるかのように感じる時があるとのこと…それが悲しいときも嬉しいときもあるだろう。それを聞いてこれから読経する「法華経」の「常説法教化」の説明を行った。

参列者の皆さんと読経し、故人を偲んだ。その後に偲ぶとは何かという話を行った。

彼岸は先祖供養のために仏壇でお経を読む。その時参列者も、一時何をしていても手を止め、手を合わせてほしい。

人によっては、不吉ななどと思うかもしれないが…それは亡き人を思いやることともに、いずれ偲ばれる私をみることでもある。どんな思いで手を合わされたいのか?

過去を思い、未来を感じ、今を生きる。そんな一時になれたら…一僧侶としてはありがたいのだが…。

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