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重荷を背負て遠き道をゆくか如し

深夜午前1時15分に電話がなった。枕経。

僕は住職になって23年になるが、その時から寺の総代という役員を務めていただいた方です。5年ほど前に役員は引退されたが、町内の餅つきを企画されて、自坊の子供会も参加させてもらっていた。温和な方で、洋服のセンスも良い方だった。

昨年末の餅つきでも元気な姿を見せてくださっていたので、高齢とはいえびっくりした。今月頭に病院に入られていたとは知らなくて・・・呼ばれなかったことにはある意味不徳のいたすところかな?と感じる。

お経を読み終わって、葬儀社の説明があり、親族のみの葬儀という事になかなか受け入れがたい部分があるようであった。故人が町内やお寺で行った業績から考えれば当然かもしれない。出来うる形で関わりたいと思う。

23年前自分が就任した当時元気だった方が、旅立たれるケースは増えている。長命とはいえ、人間は有限な命、残念ながらいずれは・・・。枕経ではなるべく読経することだけに集中するようにしているが・・・。今回はある意味茫然自失に近かったかもしれない。

自宅に遺体がある限り、毎日伺ってお通夜までお経を上げますが、エイジングノートを渡されて・・住職への言葉が残されていて・・・内容は言えないが…

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信頼って高い買い物だと感じる。しっかりしないといかんなーと思う。

エンディングノートでなく、エイジングノートなのは、以下の理由です。(久住顕昭上人に肖像権の許可をいただいたので、下記掲載)

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お会式

今回のエイジングノートは、お会式(日蓮聖人のご命日法要)に戸塚 妙法寺住職 久住顕昭上人をお呼びして講演して貰ったことによる。毎年、本休寺では習慣的にデス・エディケーション(死の準備教育)を行っている。

その折、配られたものに記載して頂き、家族が目を通した上で渡されたものです。

ちなみにその折、今回亡くなられた方は、挨拶と乾杯を発声して貰ったりしていて、自坊のハードとソフトの改革や、改正にも賛成してくださり、子供会の地域の餅つき参加を促して貰ったりした。

だからと言って

枕経に毎日伺うことや引導文や戒名を定めるための聞き取りを行うことは、檀家さんであれば同じだし、葬儀後の7日経も変わらない。今やれることを心を込めて、なるべく平等に…

それは故人が理解し、求めてきたことでもあるから

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自坊の客間に掲げてある言葉、改めて読み返すと、死者の思いやあり方を背負うことまで考えねばならないと思う。

故人への思いは確かにあるが、いつもと同じにしかできない。いつもベストを尽くせているか?が問われているし、多分故人に試されているし、見守られてもいる。



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