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松明

作家の村上春樹さんが早稲田大学で祝辞を述べた記事を読んだ。

小説家を社会を照らすたいまつに例え、「皆さんの中にそのたいまつをうけ継いでくれる人がいたらうれしい」とも述べた。

と読売新聞では書かれている。

たいまつとバトンタッチ、聖火リレーにもつながるが、個人的に思い出したのは…

本書はかなり昔に読み、売ってしまいましたが、最後に奥州藤原氏の思いという炎を他者すなわち仕えた人々にうけ継ぐように言い消えていきます。

自由や身分に囚われない社会を実現しようとした精神の引き継ぎともいえましょうか?

さて、たいまつや炎が精神を意味し、受け継ぐというならブッダの遺言とされる「自灯明、法灯明」も同じです。

「自らを灯とせよ、法を灯とせよ」

この言葉は、阿難すなわち出家者に向けて言われた言葉です。欲望を上手にコントロールできる、もしくはできるようになるだろうという前提で述べられているのでしょう。それ故に、死後すぐに悲しむのでなく、自立と教えによる自律を述べているとも言えます。

さらに言えば、この言葉はあらゆる死者が述べているとも言えないでしょうか?

死者を送る家族は嘆き悲しむかもしれません。悲しみが癒えるまで多くの時間やゆらぎがあるかもしれません。それを超えて歩き出せるようになったなら恐れることなく一歩を歩みだすこと。故人の生き方の良き部分を真似をし、悪しき部分を反面教師とし生きることを示しているとも言えないでしょうか?

良寛さんの臨終に関わる詩「裏を見せ 表を見せて 散るもみじ」は送る人へのメッセージですが、そこから先、残された人々も生きていきます。

そういう意味では、良きたいまつであり、良きもみじであろうとすることが必要なのでしょうね


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