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生老病死を考える

過日、生老病死を考える15章を読む ワークショップを行った

今回は「病」をテーマに下半身麻痺になったらという問いを検討した。本書が書かれた時代ですら、かなり下半身麻痺の方の生活をバックアップしようとする技術や制度は良くなっている。まして今ならさらに良くなっていると考えられる。

ただし、技術や制度が進もうとも生きるのは当人であり、その場でどういう精神状態になり、あらたな生き方を模索するかはわからない。

もちろん始めは落ち込むだろうが…新しく挑戦を始める。人生を見直し、仕事を精査するといったポジティブな意見もあれば、友人・知人に迷惑をかけるので気落ちするだろうという意見も…

その中で、訪問看護の関係者から、実際の患者さんは「すいません」「ごめんなさい」が口癖の方がいて前向きになれないケースがあることどういう心もちになるとよいのか?という問いもでてきた。

答えのひとつに「ありがとう」を言う癖をつけるというものがあったようである。

ようであると述べたのは…私が電波が悪くてZOOMから離脱する事態に…話題が下半身麻痺ならぬ。ネット麻痺と笑われましたが…

さて、この話の展開を聞きながら思い出したのは

横田老師のラジオだが、寝たきりになりそうでも笑顔でありがとうという、花のように生きると述べている。

さらに、「悟りとは失って初めて気づく大事な事柄を、失う前に知ることである」と述べている。

これは、今回のワークショップに近いかもしれない。未だ失っていない状態で失ったらと具体的に考えるすると、今をいかに生きるかが見えてくる。

終活が流行り、子の世話にならずに死ねないか?と考え準備する方がいるらしい。

しかし、実際は亡くなったら自分では如何ともしがたい。誰かに迷惑はかかる。とすれば終活の本来的意味は、その条件になっても生きられるように今から準備することではなく。自分の人生を見直し、今をよく生きるためのものではないだろうか?

そういう意味でも、このワークショップは今をこれからをどう生きるかを問うものとなっている

今後も続けていきたいと思います。ちなみに断線が続づいたので改めてLANケーブルを購入した。

上手くいくとよいのだが…

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