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言葉の向こう

過日、リクエストがあり、とある大学のとある講座にオンラインで出演させて頂いた。

人生の先輩になる僧侶の方や新進気鋭の僧侶なんだろうなという方と同席し、霊魂感や来世感を聞かれました。

内容的には、このnoteで書きつられたことを述べたにとどまります。自分としては嘘なく思ったことを述べたつもりではありました。

同席された、尊敬している僧侶方から「社会勉強が足りない」と評価されたと聞こえて来ました。

言われて腹が立つにはならなくて、あー確かになと思う部分があります。ここ2日程考えましたが、自分が話した言葉、そのものに嘘や偽りはなかったつもりではあります。一方で、自分はその評価をされた方のような修羅場を潜った経験がない。もちろん多少のボランティアや仏教情報センターでの経験はありますが…それでも僧侶という立場や安全性が担保されている場所だったかもしれない。一人の人間としてどうだったのか?を問われたような気がします。

そう考えてみると、言葉の本来の重みがあったかと問われてみれば、頭の中で構築していたのかもしれないと考えなおしています。仏教の言葉や僧侶というポジションや衣の力に頼ってしまったのではないかと…。

今頃ながら言葉の向こうに何があるのかを、見透かされたのではないかと感じています。その一言の指摘にであえた、もう一度自分を見直す機会を頂けたことに、大変に学びがある一時だったと振り返っています。

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