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地獄とはこれか

会えるのか、会えないのか。
リアルの知り合いになれるのか、なれないのか。
その気持ちに決着をつけたくて、希望と失望のジェットコースターに乗り続けるのももうしんどくて、決行することにしました。

一応チャットを重ねる中で、何度か相手から「ご案内しますよ」とか「(飲みませんか?)いいですよ」とか「都合つけば一緒に(その趣味の場所に)行きましょうか。(いいんですか?)別にいいじゃないですか」なんてやりとりをしていたので、うっすら期待もあったのです。
こちらも多少盲目になっていたとはいえ、馬鹿ではありません。普通はこんなオンラインチャットの関係性から、リアルに発展するなんてあり得ないなんてことわかっています。ただ、毎回の会話は本当に楽しく話していたし、内容も結構人の心理や行動に関する深めのものだったので、上記のようなやり取りもあり、話している感触は悪くないから別に会ってみてもいいかも、と思ってくれるのかな?なんて少し期待していました。

また、そのお相手の地域に行くと決めた直前に、自分からではなく相手の方からチャットに誘われた、というのも前向きな気持ちに拍車をかけました。
「よければ(ある趣味でここに行ってきたので)そのことの報告がてら話しませんか?」と連絡があったのです。

それで、そのチャットで話す際に、思い切って言ってみました。「いついつここに(その人が住む地域)、(その趣味をやりに)遊びに行くので、もしご都合合えば夜一杯飲みませんか?」と。
相手はもちろんストレートの方なので、変な下心など一切ありませんでした。ただ知り合いとして一杯交わせたらそれで幸せだったのです。
その方のお返事は、「仕事の都合がつけば行けるかもしれないので、また連絡します!」でした。

実際に行ったのはその2週間後でした。途中、「またご予定わかったら教えてください!」と連絡を入れましたが、その時の返事は「もろもろ承知しました!」でした。
その後結局当日になるまで連絡はありませんでした。

その頃のメモ日記。

継続的に対話させてもらった。同時に自分という人間を考える日々でもある。正直まだ何をどうしたらいいかわからない。試行錯誤の日々。いつ関係がなくなるかもしれないと疑心暗鬼の日々でもあった。いつも誠実な対応で徐々に安心させてもらった。そしてついに一つの区切りがやってくる。
始まりか終わりか経過点なのかはわからない。そこでどのような対応するのが良いのかもまったくわからない。ただ流れに身を任せればよいのか。自分は初めて人に本気で愛情を持った。思いはただ一つ。誠実でありたい。本当に大事な人の前では覚悟が決まる気がする。すべてその人から教わったこと。

二泊三日の旅。
チャットで薦めてもらった、その趣味を体験できる場所を巡ります。二日目の夜に飲めないか?と連絡していました。
一日目に行った場所は、その趣味界隈の聖地と言われるような場所で、本当に最高の体験でした。その場に居合わせた人と仲良く会話できたりもして、連絡のない不安も少し和らいだものです。
そんな素晴らしい経験も、もし会えたらどんな風に話そう、どんな反応をしてくれるだろうと、想像はふくらみました。ただ結局一日目の夜になっても連絡はありません。

催促するのは気が引けたのですが、連絡を入れました。明日どうでしょう。もしご都合が合えば。無理言ってすみません、と。その夜は心がざわついてなかなか寝られませんでした。

朝起きて、ホテルの温泉に入って、部屋に戻ってきた頃に返事が来ていました。
「〇〇(昨日行った場所)は本当に良いですよね。そういう感想になるのもわかります。
今夜はちょっと厳しいです。ごめんなさい!」と。
「残念ですが了解です。追っかてしまいすみませんでした。今日の滞在も楽しみますね」と返しました。

1%か10%かわかりませんが、心の隅に残っていた期待がゼロになった瞬間、そこは地獄でした。心が無になりました。その可能性もあるのはわかってはいましたが、突きつけられると心が無理でした。しかもその方の住んでいる地域に今いるのに、という近いのに絶対に届かない感覚が残酷でした。

気を取り直して、と思い、一応その日の予定は決行しました。途中タクシーに乗ったり、路線バスに揺られたり、少々奥地にある場所に辿り着き、本当は素敵な体験ができるところですが、正直心ここにあらず。1時間半ぐらいの滞在予定でしたが、孤独すぎて、涙が止まらなくなってしまい、早々に切り上げました。
本当はもう一泊する予定でしたが、一刻も早く家に帰りたくて、そのまま帰路につきました。

帰宅後のメモ日記。

今回は会えませんでした。
薄皮一枚で繋がっているものが途切れた途端大泣きしてしまいそうです。
会えないという事実をどう解釈するのか、しないのか。悩んでます。
恥ずかしいことかもしれないけど、あまり解釈しすぎずに、単に今回は会えなかった、とだけ捉えようかなと思っています。
今度機会があればもう少しストレートに聞いてみようかとも思う。リアルで会うということについてどう思っているか。正直ベースで聞かせてもらえないかと。ノーなら精神が持つかわからないけどしょうがないし、イエスなら次の機会をつくっていけば良い。事実を必要以上に解釈するのはやめようかと思う。
察してよ、という文化もあるのかもしれないけど、そこは苦しくなるだけなので、察するという行為はしなくてもいいだろうか。身勝手な考えだろうか。でももう少しだけ希望を持たせてください。願いはそれだけです。

なんとか希望をつなげたい、苦しい胸の内が伺えます。と、今なら客観的に見られますね。
また書きます。

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