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孤独に向き合う時間

彼に「心が閉じている」と告げられてから、一切の連絡を取っていません。もう2〜3週間経つのかな。最後に会ってからは、一月半ぐらい経過してしまいました。

おそらくもう終わっているのだろうと思いますが、このまま自然消滅させるのが良いのか、折を見て連絡を入れてみるのが良いのか、連絡を入れるならどんな内容を入れるのか迷ってしまい、結局時の流れに身を任せています。

自然消滅はあまりに悲しいので、もう終わりにする?とは聞きたいところです。さらに何を聞こうかと考え出すとら恨み節ばかり出てきてしまいます。
最初の1ヶ月ぐらいはあなたからあれだけアプローチしてきたのに、ある頃から比較的急速に温度感が冷めたように感じたけれど、それはなぜなのか?
人との距離感を近づけられない人なのか、単純に興味がなくなっていったのか、だんだん合わないなあと思っていったのか、何か絶対的に合わないと感じる行動があったのか、など。

できれば聞きたい。聞いてもしょうがないと思われるかもしれないけど、聞かないとずっとそのことをモヤモヤしそうなので、聞いておきたいです。
答えるのか、答えても本心なのかはわからないですけどね。

たまにキュウっと寂しくなる時間はありますが、思ったよりちゃんと日々生きていられているのが、少し自分成長したかも?と思うところです。
オンラインチャットの彼との終わりを痛感した時は、もっと苦しみました。ただ、チャットの彼と今の彼で好きな度合いが違うから、ではない気がするのです。人間関係とはそんなものだ、相手の気持ちなどこちらにはどうやってもわからない、そんなことをこの一年半ぐらいの活動の中で学んできたような気はしています。

彼に「心が閉じています」と告げられてから、またマッチングアプリで、人と出会う活動を再開しようかなと思って、実は一人の人と会いました。
会ってみたら、あまり合う感じの人ではなかったので、おそらくもう連絡を取ることはないでしょう。もう少しいろんな人と会ってみる?とも考えましたが、ちょっと気の乗らない自分がいます。
そんな時は無理して会う必要もないよなーと思い、かつ、もしかしたら今は孤独に向き合う時間にすればいいとかな、などと思いました。

昨年の年初に、ゲイであることにちゃんと自分で認めることにして、近い知り合いの何人かにはカミングアウトして、それは自分の人生を健やかに生きられるようになることが目的でした。その中で、他人に愛情を持つということも経験したかった。だから今回の彼との関係は本当に自分にとっては素晴らしい経験になりました。
一方で、もう一つの軸というか、自分の人生を、他人に依存することなく、自分が認めて、気持ちよく生きられているか、という点。さっきも言った通り、彼とほとんど別れのような状態になっても、寂しさは抱えつつも、比較的健全な気持ちで生きられていることを考えると、そこそこそれもできるようになった?とも思いますが、まだまだ道半ばです。
そこを今はちゃんと固める時間にしたらいいんじゃないかなと思ったのです。

ゲイであることを隠してきたがために、自分の人生を主体的にとらえられず、自分の嗜好を表面に出せないことから人と深い付き合いができず、きっと愛情への飢えがあります。
だから、人から求められることを、生きるよりどころにしてしまいがちです。オンラインチャットの彼を必要としていたときは、その彼と言う存在がいない人生、どうやって過ごしていけばよいのか、という思考になっていました。
今回の彼の場合、そこまでではなかったけれど、彼から求められることが嬉しくて、自分に価値があるように感じられて、逆に連絡がないと、もう冷められてしまったのかなと不安になる繰り返しでした。

完全に達観することは難しいと思いますが、どうしてもまだ今の自分は、心の寂しさやぽっかり空いた穴を埋めるために、恋人や友人という存在を求めてしまっているところがあるように思います。
もう少し、自分ひとりの存在でも、日々を健やかに過ごせるように。そんな歩み方ができるようになったら良いなと思います。今、少しできそうな気配があるので、特にそう感じます。簡単に言えば、自分の機嫌は自分で取る、ということでしょうか。

エーリッヒ・フロムの本にも、自立したもの同士だからこそ健全な愛が育める、といったことが書かれていました。もう少し自立の感覚を養った先に、また人との出会いがあればいいかな、、

また取り止めもなく書いてしまいました。読んでくださる方いたら、読みにくくて申し訳ないです。
ありがとうございました。

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