SMAPのことなどについて。

今更なのかそうでないのか分かりませんが、あれのことについて書こうかなぁと思いました。
とはいえ、ブログの方に書こうかとも思ったのですが、それほどのことを書く予定もないので雑多な想いということで、こちらに書かせていただきます。
なお、この記事は「ファンとして」とか「解散か存続か」とか「SMAPと私」とかそういうやつではないので、そういう内容を期待した方はごめんなさい。
あと、いつものように、独断と偏見と妄想と推測とその他諸々を含みます(笑)。

とはいえ多少は書いておきましょう。SMAPと私
SMAPは私にとって、ジャニオタになった最初のきっかけであり、私をテレビ好きにさせたグループであり、何なら最初の印象としては歌を歌う人だとは知らなくて、ただ面白いイケメンの人達だと思っていました。
そしてSMAPというアイドルとして知ったあと、私は森担になりましたが、彼が脱退・退社するにあたって稲垣担になりました。(担降りというより、移行ですね)
鍵っ子で一人っ子であった私の幼少期には、テレビがお友達状態であり、そんな中でお笑い芸人さんと共に沢山の笑顔を私に与えてくれたのが、SMAPをはじめとしたアイドルだったのです。ある意味、それというのは「人生」ともいえるでしょう。
そしていつの間にか、SMAPというのは、(テレビを日常的に見る人間にとっては)そこにあることが当たり前のものになっていったのでした。

“解散危機報道”

最初は、ちょうどオンタイムくらいでネットを見ていて、スポーツ紙の記事にそう載っている……というのを知りました。13日未明というところですか。
一応長らくファンなので、「またか……」という気分でしたし、「どうせガセだろう」と思っていて、更には昔のFNSの日の記事がツイート内に混ざっていたこともあり、余計にガセっぽいと思っていました。
しかし、段々と真実味を帯びてくる報道の加熱具合。ファンのどよめき。「いつものやつ」ではない。それは、NHKのニュースで公式発表が出た……というあたりでやっと実感がわきました。
「本当に、SMAPが解散してしまうかもしれない」
色々な報道の内容はありましたが、その時点で確かなことはとりあえずそれくらいだったと思います。

その時点で私はね、実は結構諦めていたんです。
あまりちゃんと報道内容を見ていなかったのもあって、どちらかといえば「解散してしまったら今後、その空いた席は誰が埋めるんだろう。埋まるんだろうか。でも下も詰まっているから、そろそろ上がそういう風になっていくことがあるのかなぁ……」などと、半ば解散してしまう方向で考えてましたし、そうすることで気持ちを落ち着けようともしていたのです。
そうでないと、人生を共にしてきた何かを失うというのは、大変な精神疲労を伴う。そして私はその疲労をモロに受けてしまうほうであり、それが直接体調にも影響しないとも限らない生活を送っているからこそでした。
だって、ここ5.6年を過ごしてきたジャニオタならば、KAT-TUNやNEWSの件を経験して、「あの時ああ言っていたんだから」「もう二度と過ちは繰り返さないって言ってたし」みたいなことがどんなに未来で通用しないかなんて、私たちは痛いほど知っているはずだったから
ただ、報道内容をざっくりと掴むと、どうやら「お家騒動に巻き込まれているだけで、本人達に解散する意思はないらしい」というのをとりあえず読み取ることができまして、だとすれば解散するだのしないだのとかいうのをはいそうですかと受け容れるのも癪だなぁ……と思い始めたんです。
それに、SMAPは10年やそこらではなくて、一応何度も解散を叫ばれながらも、25年を続けてきたんだ。だから、こんなにもファンが信頼しているのではないだろうか。何度かの痛みを事務所担として経験して、私はなお、SMAPを信じてみるべきなんだ、と思い直しました

さて、そこで『世界に一つだけの花購買運動』に出会いました。
Twitterのタグ(トレンド)から知ったんだったかな。概要はおおよそニュースでも上がっているとおりですが、私はそれに賛同しました。
どこに賛同したかというと、「こうすることでSMAPにメッセージを届けよう」という点。「待っているよと伝えよう」という気持ちです。
だから私としては、あの活動の意義は「解散阻止」ではなかったですし(そういった意味では、一部報道は少しニュアンスが違いますね)、ましてや誰かにそれを強制することでもない。ただ、その時にファンがやれる最大の自己満足の形がそれだと思ったし、実際に『この瞬間、きっと夢じゃない』のころにも、草彅くんの件で購買運動が起こり、そしてそのメッセージは届いたのである……とそういうファンの方のツイートがあったので、この活動には意味があるんだろう、と思えたのです。
なので、あのタグ(世界に一つだけの花)に散らばっている、攻撃的というか過激派というか、そういう発言をしている方々には賛同していません。そこだけはとりあえず言っておきたい。
そして実は、私自身はその購買運動に参加できていません(トリプルミリオンにする、という意味では)。その活動を知った時、一応地元のCDショップに行きましたが、『世界に一つだけの花』はありませんでした。でも別に無かったから買わなかった訳ではなく(それもありましたけど)私は同じ内容のものを何枚も買うことを良しとできるほど余裕はないので、買わなかった……という感じでした(2003年当時、既に買っていたということです)。
でも、前述した、一度気持ちの上で解散を受け容れかけたとき、「また思い出買い(脱退などしたメンバーがいたとき、持っていない旧譜や新譜を買ってしまう行為を私が勝手にそう呼んでいる)してしまうんだろうな……」くらいには思っていたので、「だったら、後悔しないように、解散された後よりはされる前に買うことにしよう」そう思って、元々CDショップへ赴いたのでした。それに、在宅にとってやれることって今、これしかないだろう、ってのもありましたしね。
結果的に、『世界に一つだけの花』は無かったものの、私が持っていなかった旧譜(新譜含む)のMV付き初回盤が何作かあったので、5作ほどその場で買いました。購買運動に直接関われはしませんが、SMAPが必要とされている……というメッセージが発信される足しに少しでもなればいいな、くらいの気持ちでした。

その活動は、今もなお続いているようです。実質、1月29日のミュージックステーションでは『世界に一つだけの花』はシングルランキング1位になっており、その前週にNEWSがこの大事な時期に1位を取れないかもしれないと危ぶんでいた私と増田担の友人は「危なかったね」「良かったね(二つの意味で)」と言い合ったものでした。(その危険を感じて、私はNEWSの新譜を1枚買っていましたし)

思えば今回の報道、(それは誰かの思惑かもしれないけれど)解散が決定する前に世の中に出たわけです。本人達の意思じゃなかったから、世論が動けば止められるかもしれない……と、どこかの報道のように誰かが思っていたのかもしれない。そして、世間は動きました。
余談ですが、「解散しないで」と言って解散を止められるかもしれないのは、「本人達の意志ではない」「まだ決まっていない」からだと感じるたび、わずか数か月前、テレビの生放送で直接本人の口から脱退を告げたTを冠する彼……そしてそのグループのメンバー、ファンにとって、その現実はなんて無慈悲なことだっただろう、と今回の流れを見つめながら思うこともあったりして。

しかしながら、今回の騒動。
世の中で色々言われているお家騒動方面には私は特に言うことない(言いたくもない)のでさほど触れませんが、今回のことで思ったのは、「SMAPってこんなにも国民的だったのか」という再確認、いや再認識。
もちろん、今までも国民的だとは思ってましたけど、私は一応人生ほとんど彼らのファンなので、世間的にどうなのか本当の意味では推し測れなかったわけです。
一番吃驚したのは、最初の公式な発表がNHKニュースでも出たということ。「え、アイドルが辞める辞めないっていう芸能ニュースじゃないの……?」って。まぁ、それほどにもはや国民の関心事として認められていたということだったんでしょう。NHKしか見ない……なんてご高齢のかたも多い訳ですからね。
もう一つの驚きは、『世界に一つだけの花』ハッシュタグ。ジャニーズの他グループ担だけではなく、他のアーティストのファンの方、あるいは特にファンではないけどSMAPに解散してほしくないのでCD買います……というツイートをたくさん見かけたことです。こちらは嬉しくての驚きでしたね。
こんなにもみんなが、SMAPというアイドルを必要としてくれている。その気持ちの大なり小なりはもちろんあるでしょうが、私にはそれを実感できたことが嬉しかった。「日本の財産」だなんていう大それた言葉は私は照れくさくて使えないんだけれど、まぁ概ね反対でもないです。

それに、先日の『ウーマンラッシュアワー村本大輔のオールナイトニッポン』の中で、村本さんが「これだけテレビ離れが叫ばれている昨今で、この騒動(ベッキーの件を含む)を通して、これだけ世間がざわつくというのを目にして、テレビ、まだこんな影響力あるって感じられたことが(不謹慎かもしれないが)嬉しかった」というような話をしてらっしゃって(割とうろ覚えのニュアンスなので、おおよそで受け取ってください)。私、それはとても同感だったんです。
正直私、今の世間にとって、SMAPが解散するのしないのなんて、ファンやジャニオタ以外にはどうでもいいことなんじゃないかって思っていました。業界の人や、エンタメが好きな人はともかく、今はこちら側にまったく興味なく生きている人だって割合として少なくないです。でも、私が思っていたより沢山の人が、「SMAPは日本に必要なアイドル(エンターテイナー)だ」と言ってくれていた。そして、そう想って何かしら動いてくれた人が沢山いた。色々な著名人や、果ては政界の人までが、この件にコメントするに至ってしまった。もはや社会現象でした。
それだけでも、今回の騒動は(深ぁいところのぐちゃぐちゃとしているらしいところはひとまず置いておいて)なかなかに意義があったのかな、ポジティブな意味で。って思いました。
……何度「これはあのFNSの日のドラマの中ではないのか?」と思ったことか

”SMAP×SMAP生放送”

これに関しては方々で物議が醸されていて、色んな人が色んなことを言っていますし、私がどうこう言えるような部分じゃないな、と思ったのでそれほど言いませんし、あまり言いたくないんです。
まぁ、放送中の素直な感想のみ述べるならば、「まるで、お通夜みたいだ」というのと「何を私達は謝られているのだろう」というのと、大きく二つ。そして最後に、「……で、結局もやもやは残るけど、ざっくりそのまま受け取っていいの?」っていうことです。
「ざっくりそのまま」というのは、「とりあえずこれからも続けるっぽい」くらいのことですね。少なくとも例の9月までは。そこを超えないとまずひとつ、ちゃんと安心できないでしょうけれど。

でも私は、「とりあえず彼らがそう言うのならば、そう受け取る」と決めましたし、それを見届ける。世間がどんなふうにあれを受け取ったかは知らないけれど。
色々と言う人もいるでしょう。ファンの中でも、意見は様々です。「あんな顔をさせるくらいなら、解散のほうが」くらいのことを言っている人すら。でも私は、あの生放送で、彼らがあの言葉を発した、それを選んだ。……ならば、それを応援するまでかな、と思うわけで。
たとえ「誰かに言わされていた」ということがもしもあったとして、しかし生放送でそれを「言うか言わないか」は本人の意思なのです。そう、思います。

ところで「真実」って何なのか。

このところ、色々な場所で、「真実(真相)」という言葉が飛び交っていましたが(でも今回のことだけでなくて、普段からどこででもそうですかね)。

私、そのようなことに関係しそうな話をブログの「ピンクとグレー」映画感想に書きました。(※パンフレットや映画本編のネタバレに大きく関わる記述がありますので、閲覧には注意して下さい)以下、その自分の感想をいくつか引用。

(パンフレット引用部分)
行定:(前略)だから、撮影のとき役者たちに「台本に書いてあること(セリフ)をそのまま信じるなよ」って言っていたら「えっ、どういうことですか?」って(苦笑)。
加藤:そうなんですよね。言葉(セリフ)ではそう言わせているけれど、それが本心かどうかは分からない、裏腹なところを含んでいる。役者はとまどいますね(笑)。
私がこのところ、まぁ現実に色々起きる少し前から、考えていたことでもあったんです。「書かれたことや、口に出して言ったことは、果たして真実なのか」。シゲがこうして言うように、言葉の上ではそう言っていても、それが現実に即した「事実」ではない場合は、多くある。もちろん、本当に真実の場合もありますが。そしてこの作品を通して、この言葉が業界の人から引き出されたのが興味深かったです。もちろん、フィクションの話をしている上でですけれど。
世の中に氾濫している、週刊誌や、スポーツ紙の記事。胡散臭い「事情通」とかの言葉。そして、いくら記者さんが取材して見て聞いたことでも、その取材相手がもし「嘘」を言っていたとしたら?「これこれこういう事を言っていたと聞きました、だから今こういう状況のはずです」……本当に
それが、その言葉が真実かどうかを、誰が保証してくれたのか。疑い始めれば、キリがないことです。芸能界の闇なんていうけど、闇じゃないものなんて私はないと思う。自分以外のことなんて、ほとんど闇なんじゃないだろうか。だって何が真実かは、誰かを信頼することからしかわからない信頼した相手が嘘を言っていたら、どうするんだろう
ただし、ですよ。ここからが本題の話です。
相手が嘘をついているかどうかが分からないのであれば、自分が信じたいものを信じるしかないと思うんです。つまり、自分の中で「この人は信用に値する」っていうこと。まぁ、人でなくてもよくて、「この言葉は」でもいい。世の中にあるリテラシーっていうのとはちょっとズレているかもしれないけど、私は割とそういう基準で信じる信じないを決めます。というか「私はこれを信じたい」とかみたいな基準かな。
それに、たとえば記事とかの話ですが、「本当と嘘を混ぜる」ということもできる。「この辺のことは本当だけど、ここからは嘘(あるいは妄想)」。それが全て真実か、あるいは嘘かを保証する人はいない。もし本人が違うといっても、それを周囲や世間が信じなければ、それって嘘じゃないかってことになってしまうこともある。
変な理屈ですけど、これって割合日常的にまかり通っていることなんじゃないかな。
でも私、こうも思っています。
「書かれたことや言葉にされたことは、”事実”に即しているかは関係なく、ある意味では真実である」
それを書いた。それを言った。それは、その人の意思。誰かに言わされていたとしても、とりあえず自分の手や口でそうしたとしたら、とりあえずそれはその人がこの世界に発信しようと決めた「真実」ではないのかな、と。「本心や事実だけが、真実ではない」という言い方もできますね。嘘いつわりのないことが「真実」とはいうけれど、たとえば事実と違うことを言葉にしたとしても、それは「それを真実として世の中に発信する」という意志としては嘘いつわりはないのです
大した屁理屈ですが、つまりそういうことってよくあるんじゃないか?という話です。

とまぁ、こんな話を書きました(引用が長くてすいません)。
これは、某ゲームの考察の受け売りで、なるほど、そういう考え方ってアリだなぁ、と思って、私はその考え方が結構好きで昨今積極的に採用しているのですが。

私はですね、凄く個人的な嗜好の話で申し訳ないんですけれど、世の中の人みたいに、陰謀論だの、芸能界の闇だの、そういうのあまり興味ないんですよね。(ゴシップ程度には見ますが、元々そんなに好きじゃないです)
私は個人的にはメリー・ジュリーさん、あまり好きになれないなと思いますけど、かといって飯島さんも、敏腕なんでしょうけれど、全面的に擁護をしようという気にもなれません。
そして、この騒動によって、事務所がブラック企業だなとかよく言われますが、正直言って芸能界の他の事務所やテレビ局がそうでないのかといえば私は疑問ですし、よく「普通の会社なら/社員なら」とか例え話も見かけるけれど、そもそも一般社会と芸能界を一緒にしてみたところで果たしてそれって意味あるのか?全然違う事案じゃないのか?とも思いますし。……というところで、いい加減疲れるのでそれ系はもう目に入れなくなりました。
あと、大して知りもしない……知ろうともしないわりに、ざっくばらんに流布された「それっぽい闇のようなもの」をざっくり読み取って、苦手意識を持たれたり、「ジャニーズってやっぱり○○」という、偏見が増えてしまったようにも思いましたね。
それについては非常に、残念です。事務所担、そして、ジャニオタとしては。
私は、「(諸先輩も含む)SMAPからJr.までまるっと好き」といった意味において「事務所担」という言葉を使ってはいますが、私は「”ジャニーズ”というアイドルにおける現象」が好きであり興味があるのであって、事務所の内部のゴタゴタは正直どうだっていいのです。誰が悪いとか誰の陰謀とか、もうたくさん。
だって私、しがない一般人、そしてただのファンですから。
真実がどれか?何か?知ったところで、何ができましょうか。私にはただ、タレントを応援することしかできない。こういったネットの片隅で、ぶちぶち呟くことしかできない矮小な存在です。芸能界にコネクションもないです、別に。
お家騒動どうのと、生放送の件のあとに、「やっぱりジャニーズって苦手だな」……こんな意見を見掛けたときに、なぜ、闇の部分しか見ずに判断してしまうのだろうと、哀しくなりました。
まぁ、その人がたとえば、所属タレントの家族、あるいは内部スタッフの知り合い、その他、問題の渦中の人に近しい人だとしたならば、直接的に恨み言を言う権利もあるというものでしょう。それは、理解できます。
でも、ただの何の関係もない一般人なら、そんな報道の数々は「ただ書かれただけのこと」と割り切って無視し、ジャニーズというアイドルたちのパフォーマンスを素直に受け止め、青春そして人生を費やすその輝きを、エンターテイメントのひとつとしてもっと楽しんで観てみたって、罰は当たらないのではないかな?と思うわけです。
確かにそこには、闇があるのかもしれない。けれど、光も確かに存在している。
私はそんな、光の部分が好きで、ジャニオタをやっています。私には、それで充分。事実として私の払っているお金は色んな人を肥やしているかもしれませんが、私の気持ちとしては、彼らに名前と希望をくれたジャニー社長、そして何より輝き続けてくれようとするタレントのみんな。その人たちのために日々、CD・映像ソフトを買い、ドラマ・映画を、バラエティーを見ているのです。(つまり今回の購買運動だってそのひとつなわけだ)
私にとってジャニーズとは、事務所のシステムや何だか偉いらしい人たちのことではなく、社長とタレントのことです。それ以上でもそれ以下でもない。
私が興味あるのは、その光です。闇に首を突っ込んでも、メンタルやられるだけですからね。しかも、自分では解決できないことなのに。

世の中の人が、勝手にどんなふうに思おうと、それはもちろん個人の勝手ですが。少なくとも、その「闇のようなもの」だけが、「ジャニーズ」ではないのだということだけは、理解してほしい
私のような在宅事務所担でも、そう願っています。

いつか、SMAPが自分達の意思で本当に「解散しよう」なんていう日が来たならば、そのときは素直に受け入れようと思う。やっぱりそれは寂しくて哀しいだろうけど、本人達が決めたならば、それに異論は唱えられない。
……それは、今までだってそうだったからです。

別に私、全ての報道を信じないとか、誰の事も信じない、と言ってるわけではないんですよ。ただ、信じたい人は勝手に私が決めるし、信用に値しないと私が思ったことは、ばっさり切り捨てるし、その権利がこちらにはある、というだけです。そしてそれらが真実かどうかを確かめる術がこちらにはないからこそ。
おおよそのことは、なんとなく受け取って、「この辺は信じてもいいけど、この辺はナシだな」くらいに普段からやっているだけです。
あぁ、でも、メディアや局に対して蔑称を使ったり貶したりすることを何とも思ってないような、公の場でそれを使ってツイートしたり文章を書けるような人の言葉は、信じられないし、信じたくないですね。その対象が本当に信用できるか否かは別として、その言葉……うつくしくないですから。特に、世界に一つだけの花タグに載せてる方……アンチならまだしも、ファンでその書き方は見苦しいので、やめたほうがいいんじゃないかなぁ、なんて思ったりしました。


さて。ジャニオタの皆さん、そして、そうではない皆さん。
あの生放送で語られたこと、そしてあの表情、すべてを真実だと思っていますか?または連日の色々な報道、著名人や記者のコメント、どれを信じたのですか?
どの部分が表で、どの部分が裏だったんでしょうか?
思慮の浅い私には到底、わかりません。えぇ、そりゃそうですとも。

極端な例え話……なので、軽く聞いてやってほしいのですが。
「いつもは誰よりお辞儀が深い中居正広が、あの時ばかりは、お辞儀が浅かった」
この、皆が見た事実。これに、どれほどの意味があったのか。知っているのはもちろん、中居正広、その人だけです。きっとみんなが、意味があると思ったでしょうし、報道もおおよそそんな感じで書いていた気がしますが。
例えですよ?例えですけど……急に腰が痛くて、あの生放送のとき、あまり深くお辞儀が出来ない状態だった、としたら、どうでしょう。本人は、いつも通りのお辞儀をしたかったのに。それが、深読みされて受け取られてしまったとしたら?
……それはもちろん私の例え話の上での妄想なんですけれど、それが事実だったかもしれない可能性だって、0%ではないんです。もしかして今後中居くんが「あの時はさ……」と語ることがあったとして、その言葉が「本心」だと誰が保証するんですか?本人が保証したら、全員が信じるのですか?それが、私たちにとって都合の悪いことだったとしても?
……何度も言いますが、これは私の極論であり、そして妄想。
真実とやらは皆さんの心の中です、もちろん。

疑い始めたら、キリがないのです。どれが真実か、嘘かなんて。
……ということは、つまり。真相は本人以外にはわからない、ということで、陰謀があるのかないのか、誰が悪いのか悪くないのか、どこの報道が正しいのかどこも正しくないのかも、誰もわからない。
某雑誌が書いたメリーさんや飯島さんの言葉が、全てにおいて「本心」かどうか?わかりません。そしてそれを私たちファンがどちらか決めることに、何の意味があるのか?私にはもう、さっぱりわかりません。

私が今後、望むこと。
SMAPが、彼らの意志のもとに、続いてゆくこと。(後輩も勿論そうですね)
そして叶うならば、どんな形でもいい、今まで見えないようで確実に存在していたと思われる、派閥とかいうものがなくなって、タレントたちの垣根ない交流の様子が、在宅の私にわかる形で、どこかで語ってもらえるようになること。
そして私の好きなジャニーズの皆が輝くところを私達にまた見せてくれること。

そんな未来が来ることを、私はささやかに願います。
それが「真実」になるかならないかはわからないけれど、願うだけはタダなので。ファンの中では月並みですが、この曲を捧げましょう。
そして、これからも聴きたいからという希望を込めて。

♪STAY - SMAP (『Pop Up! SMAP』より)

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