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孤独を知って、これからについて。

2019.12.12

今年、生まれて初めて“孤独”を感じるようになった。

僕は四男として産まれたが、それ以前に一卵性双生児として細胞分裂の時点からゴーという双子の弟の存在がすぐ隣にあった。

細胞分裂の時から“一人ぼっち”という感覚が無い僕は、幼少期も周りのみんなほどの孤独感や、その延長にある仲間意識、所属意識などが低かった。

そんな僕が、今年になって初めて“孤独”という感覚を実感するようになった。

その理由は二つある。

一つは、
大切な人達との別れ。

「大切な人達と別れる」という事象の元を辿ると、
その出発点には「多くの人達と出会う」があり、苦楽を共感しながら「大切に思えるくらい仲が深まる」という過程がある。

多くの人は生まれた時に一人なので、その時点で本能的に他人との繋がりを求める。
生まれた時点で一人でない僕はその欲求を感じなかったけど、
上京し学生経験・社会人経験の過程でコミュニティに所属し関係人口が増えていく中で、そういった大切な人ができていった。

そして今年、
話し合いをして、または自分自身の決断で、または突然にして、
その人達との関係を断つことになった。
(たまたま、全てが今年という期間に集中した)

とはいえ、
大切な人達との関係は断たれたとしても、まだ僕にはゴーという存在が居る。
まだ一人でない以上、論理的に考えれば、喪失感を感じたとしても孤独感は感じないはず。

それに繋がる2つ目の理由は、
ゴーとの人生観・価値観の分岐
にあると思う。

僕たちは、高校3年生までは概ね発育環境が同じだった。
そのため「全く同じ」ではないにしろ、ほとんどのライフイベントを共有しているので、弟との価値観や人生観の親和性は必然的に高かった。

それが高校を卒業し、僕は専門学校のある東京へ。弟は語学留学のためカナダへ行った。
僕は学生仲間と洋裁を学び、弟は異国の地で英語を学んだ。

そのタイミングが分岐点となり、
お互いの生き方や考え方の軸が、それぞれ全く異なる環境、文化、人間関係の中で太く育っていった。

ここ最近、お互いの価値観や人生観を少なからず言語化出来る様になり、色々と将来の話をするようになって、その違いを強く感じるようになった。

ここで、僕はようやく孤独感を味うことになった。

まとめに入ると、
“得る”と“失う”はセットなんだな
と思う。

生まれながら孤独でなかった僕は「仲間を得る」という必要性がなかった。「得る」必要が無いからこそ「失う」も無かった。

幼少期は双子に限らず、大人に比べて失うものがかなり少ない。

挑戦に対する苦労や苦痛などの恐怖、
失敗に伴う地位や信用の損失など、
そういった「失う」ということを気にする必要性が幼少期は少ないからこそ、自分の感性の赴くままに手を伸ばせる。

でも少なからず何かを得たり、
それと対をなす「失う可能性」を、経験から予感するようになり始めた今だからこそ、

・失う可能性を恐れないこと
・過去比較的に失った今に囚われないこと
他者比較的に得ていない自分を恥じないこと

などを心がけて、
気負うことなく積極的に動いていきたいと思う。

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