僕から言葉の残滓が洩れる時

僕の脳のキャパシティは少ない。
マルチタスクは苦手だし、かといって集中できるかと言ったらそうでもない。スイッチは入るが、切れるまでが早い。要するに非常に飽きっぽいのだ。

加えて非常に怒りっぽい。
どうかすると箸が転がってもぷりぷりと怒っているかもしれない。
接客業をしているが、接客業にあるまじき気の短さで、入社したての頃は本当に苦労した。

もちろん、今も苦労はしている。
昔よりは取り繕うのが上手くなったくらいで、人の目のないところで当たり散らかさないとずっと引きずる。
(懲りずに付き合い続けてくれている母に、この場を借りて感謝の意を)

感受性が強すぎるきらいがある。
影響されやすく、不安につかまると逃げられない。誤魔化して誤魔化して、薄まるのを待つしか出来ない。

そんな僕だから、常に頭の中だけが動き回っている。思考はよく飛ぶし、弾幕の様に言葉が巡り、都合のいい妄想劇が繰り広げられる。
容易にパニックに陥るし、回転する脳内に反比例して語彙と運動が止まっていく様は、側からみればきっと至極滑稽で、焦れったいものなのだろう。

周囲の人間に迷惑をかけている自覚はある。
(むしろ何の役に立っているのか非常に怪しい)

幼い頃から人との距離や触れ合い方がわからなかったから、人の言葉をストレートに受け取る特性と、裏の裏まで疑う猜疑心が両方育ってしまった。

僕の希死念慮はおそらくきっとここから来ている。
過去の憎たらしい自分ごと殺してしまいたい。
生きづらいこの世を知る前に、周囲に迷惑をかける前に、と。

僕から言葉の残滓が洩れる時、
それは不安の海に落ちた時だ。

考えても考えても解決法が見出せない、終わりのない問いかけ。
「なんで人は人を殺すの?自分だけ死ねば周りが消えるのに」
「なんで人は人を怒鳴るの?双方何も生み出すものは無いのに」
「なんであの人はあんな事をしたの?悪いことはしちゃいけないのに」
「そもそも、何をもってして悪いことだとするのだろう?バレない様に悪い事をしている人は沢山いる、その人達が必ず露見し裁かれる保証はあるのだろうか」
「どうして僕はこんなに生きづらいの?」
「どうして外の世界はこんなに恐ろしいの?」
「なんであの人達は大声で叫んでいるの?声高に差別や配慮を叫ぶ人々は、聴覚過敏の人の事を忘れていないだろうか」

行き止まりの感情はいつも「こわい」

千人千色、精神世界は違うから、
僕の世界は誰かと同じ世界では無い
そこに特別視をしているわけでは無いけれど、
誰にも共有出来ない、自分にしか見えない世界で起きている恐怖と不安
それが僕を破裂させんばかりに満たす時、昔読んだ本や辞書の言葉の破片が過ぎる。

それを拾って縫い繕って、ひと様に見せられる形にしたのが、僕の作った詩の数々だ。

いつも似通った作品ばかりになってしまうのは、おそらく僕が少なからずこの状況下に執着しているからだろう。

変化を嫌い、不変に安堵する僕には、今の状況が辛く苦しいものだとしても、そこから移動するまでの余裕がないのかもしれない。

希死念慮に惹かれ、「世界の恐怖から逃げられないかわいそうな自分」を眺める、これはミュンヒハウゼン症候群と言えるか?


決して僕は頭がいいわけでは無い(偏差値とは無縁だった)
だからこそ、文章を紡ぐ世界に居るのだ

僕の幸せな世界を広げられるのは
僕の潰れそうな不安を書き殴れるのは
紙と電子媒体にしかもう無い
それを作り続けられるのも僕自身だ

今後は、小説やエッセイの様な形で、この気持ちを表現していければと思う。

まとまりがないが、今日はこの辺で。
次回、落ち着いていたら楽しいことが書けます様に。

2021.11.7 23:10 おむ

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