【映画ログ】Perfect Days(TOHOシネマズ くずはモール)

ヴィム・ヴェンダーズの最新作。東京を舞台として役所広司が主演。90年代なら単館上映だったろう。それが東宝系列である。時代は変わる。

1日を丁寧に描くことから映画は始まる。スカイツリーを見上げる安アパート、歯を磨き、鉢植えに水を遣り、缶コーヒーを買って、車に乗り込む。高速に乗って目指すは渋谷の公衆トイレ。休憩を挟んで場所を移しながらトイレを清掃していく。仕事が終われば、銭湯に行き、吾妻橋を渡って居酒屋で一杯。眠るまで本を読んで眠って、円環が閉じるように1日が終わる。パーフェクトデイ。主人公平山のセリフはほとんどない。

自分で決めたことを崩さないし、崩れることを避ける。車でかける音楽は80年代以前の音楽。メインストリームではない。アニマルズ、キンクス、ルー・リード。しかもカセット。休憩の場所も決まっていて神社のベンチに座ってサンドイッチをかじる。そして小さなカメラを取り出して木漏れ日をパチリ。もちろんフィルムカメラだ。

映画のセリフで「いくつもの世界があって、それぞれつながっている」とあるが、平山の世界はつながっていない。同僚とも、家族とも、そして未来や過去とも。それでも彼の「日常」は外部から脅かされる。あがなう彼の姿は幼い子供のようだ。

観ながら思っていたのは平山がどのような半生を過ごしていたか。ストーリーからわかる平山の過去は、裕福な家に生まれて、父親と仲違いをしており、家を継いだのは妹ということ。左翼崩れかと思ったけど、そういう描写はない、

閉じた世界で生きている平山の精神性は成熟していないように思える。自分が抱く仄かな恋心が潰えた時、走って逃げた姿はまるで子供のようだ。缶のハイボールを飲み落ち着こうとしても落ち着かない。追いかけてきた男が素性を明かし、がんであることを告げられた平山は、どうもことの重さをわかっていない様子だ。そして影踏みに誘う口調は子供そのものだ。永遠の円環から出たくない子供。それが平山だ。カセットテープとフィルムカメラ。初めて平山がそれらを知ったのは何歳ごろだったろう。そこから彼の時間は止まっている。

最後のシーン。車を運転しながらの長回しで笑いながら泣く演技を繰り返す平山。あのシーンは仕事場に向かうシーンだったか。永遠のループから抜け出せない事に何もできな子供のように思える。仕事場に向かう高速なら首都高で、あれも一種の円環だ。思い出したのはニューヨーカーの編集長だったエリック・ロスの言葉(だったと思う)。「最後の2パラグラフは切る。そのほうがニューヨーカーらしい」。わかりやすいシーンだったけど、カットしても良かったかも。

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