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北大の野生

 homeportは、2019年3月23日に北海道大学の遠友学舎で開催したイベント「SAIHATE LINES 2019-Prelude-」に端を発している。
 当時の私は、硬直化した大学(院)のあり方に疑問を持ち、それを理論的なやり方ではなく、実践的なあり方として、具体的なかたちにして提示しようとしていた。
 「当時の私」はという表現は、正確ではない。大学院の同僚と話していたとき、その場のみんなが感じていた現状の大学への違和感。学生も教員も事務も、それぞれが個人化し、当事者性が欠けたもの同士が、同じハコの中で共存しているが、共棲はしていない。
 その思いが自分の中に入ってきて、気づいたらコトを起こしていた。イベントの準備をしている間は、楽しさもありつつ、半分以上は、強迫観念というか、止められない、もうやめることは許されない感覚だった。
 それから約5年が経過し、あのときのメンバーはほとんど残っていない。いや、一人残っている。それが宮崎俊明くんだ。

 当時、何かに追い立てられながら、ギリギリのところでSAIHATE LINESの準備をしていたとき。高等教育推進機構(最近ネーミングライツを募集していて、HPを確認したら高等教育推進機構大講堂は、愛称名が「Sky HALL(スカイ ホール)」になっていた)のサークル掲示板に目をやると「北大写真部」のサークル員募集の紙が目に入った。上質紙で、他の募集チラシとは一線を画す存在。その枠の中に縁取られた一枚の写真。

 直感的に「これだ」と感じ、記載のあったメールアドレスに「『北大の野生』というテーマで写真を出展してくれないか」とメールを送り、返信をくれたのが、当時写真部の部長だった宮崎君だ。向こうからすれば、よく分からない存在だったと思うが、学生会館にある部室を訪ねたときの鬼気迫る表情から何かを感じ取ってくれたのかもしれない。その後、送られてきた北大構内の幾つかの写真に、私自身が救われた。

 今思えば、硬直化していたのは、自分自身であり、それが投影された大学もまた硬直化していくのは自然な流れであった。だから、まずは自分自身が「自己満足」すること。仕事も研究も、ただ好きという原点から始めてみること。それに気づいたこの5年間だった。

 5年経った今も、私は北大とまちの境界線上に住んでいて、遠友学舎と同一のライン上に居を構えている。そこで「homeportー北20条にあるもう一つの母校(港)」と題したライフワークを始めた。プロジェクトではなくライフワーク。ずっと続いていくもの。

 宮崎君とは、その後、徳島祖谷、富良野・美瑛、網走・知床、岡山井原、山形長井、熊本阿蘇、札幌盤渓など、いろいろなところを巡った。その中でhomeportも具現化されてきた。

 今、homeportでは、実験的な宿をはじめている。宿は無目的が目的になる場所。なにもやらないことがやりたいこと。そんな私自身のエッセンスが凝縮され、かつ私を通り過ぎていった人やモノのエッセンスが集約されている。そこに宮崎君の写真を1点飾りたい。この5年、宮崎君は、homeportの活動を通して何を感じ・考えてきたのか。直接聞くのではなく、写真を通して聞いてみたい。

 テーマは「北大の野生」。最初の目撃者は田中伸之輔くんになる。

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