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いつだって旅に行くほどの仲

 「第2回homeportゼミ合宿 in 熊本 」は、田中事件さんとの出会いや、中高の同級生えがちゃんとの再会、阿蘇でのあべ君の途中離脱など、いくつかの”事件”らしきものはあったが、全てが万事問題なく進んだようにも感じている。
 なぜなら、そもそも万事が全て問題なく進むことなどないからだ。合宿3日目、熊本空港で田中君を降ろした後、私と宮崎君は、自衛隊通りから県庁通りへと続く道に差し掛かったところで、セブンイレブンに立ち寄った。その近くには、私が小学生時代に通ったはるおか(元イトマン)スイミングスクールがある。宮崎君は、小国の手づくり丸パンに、セブンで買ったキューブ上のチーズを入れて朝食を食べていた。相変わらずタフな人間である。
 合宿初日は、益城町広崎にある私の実家での宴が大いに盛り上がり、十分な睡眠を確保をできないまま、朝の出発時間を迎える。(遠方からの旅疲れも含めて)みんな、どことなく疲労感を抱えていた。その中にあって、朝はもっぱら弱そうな宮崎君は、自らハンドルを握りながら、静かに覚醒していった。本人の後日談(というかセブン駐車場での会話だから、厳密には旅の最中)によると、運転をしながら、みるみるうちに目が覚めていき、途中の草千里を抜けた辺りでの朝食休憩で、完全体になったそうだ。

朝のエーテル


 そのとき、助手席にいた私は、若干車酔いをしつつも、阿蘇の萌えるような初夏の景色に魅了され、あべくんは疲労と車酔いで絶不調だったようだ。田中君は……たぶん元気だったと思う。そんな話をセブン駐車場の車内で話していたら、宮崎くんがふとこう漏らした。

あべくんはある意味すごい。(みんな盛り上がっている空気に水を差したらいけないと)周りの人を気遣って、自ら帰る決断をした。自分にはできない。自分だったら、そのままみんなと旅を続けて、宿で回復を待つと思う。自分がもし同じ立場だったら、看病してもらうと思うし、看病させてくれよと思う。だってそもそも旅に一緒にいく仲なんだから。

 宮崎君は「男はつらいよ」(まだ観ていない)の寅さんばりに、「水臭えじゃねえか」と言ってのけた。つまりは、誤解を恐れずに言えば、あべくんの体調不良は、決して旅の雰囲気に水を差すことにはならず、むしろ旅のハイライトにさえなるはずだ。それぐらい、どんとこいと、フーテンの宮さんは豪快かつ寛容に構えていたのだ。
 そして、私はと言えば、田中事件さんとの出会いも、あべくんの途中離脱も、田中君のダブルブッキング騒動も、みやちゃんの寅さん化も既視感というか、起こるべくして起こった感を感じていて、退屈とは異なる、或る落ち着きの中で、その状況を楽しんでいた。何が起こっても意味づける強度。弱さの中にある強度が、ほぼ唯一のhomeportの校訓(校歌)なのだから。

 つい先ほど、田中事件さんから田中伸之輔著『研究的実践を組みなおすvol.1/2/3』の感想が届いた。その中に、homeportも既に固定化の予感に晒されているとの指摘があった。「何が起こっても大丈夫」が紋切り型となり、古典芸能のようになると、確かにその鮮度は陳腐化する。と言いつつ、だからこそ古典芸能って、後世に語り継がれるべきものなのかもしれない。田中事件さんが、合宿初日の宴に参加したとき「何度も麻雀をやったような仲ですね」とhomeportを表してくれたが、実際には数回だけしか会っていない人、初対面の人もいた。

 思えば、私は、社会では一般的に非日常と言われるような場を主催(オーガナイズ)することについて、大学院で研究を続けてきた。田中くんの『組みなおす』を踏まえるならば、当初は「実践的研究」だったものが、場の主催者(具体的にはローカルフェス主催者)の薫陶を無意識に受けた結果、いつの間にか「研究的実践」へと移行し、自分自身がそのような非日常の場を主催することが増え、やがて日常化していった。だから、homeportの合宿で起こった出来事は、私にとってはあくまでも日常の一部である。だからこそ、日々の生活の中での最も大事にしている、愛おしいものだ。
 つまり、社会の側から見た「旅に行くほどの仲」は、homeport的に言えば、いつだって旅に行くほどの仲だし、そうありたいと思っている。物理的な移動を伴う旅や、(有休を申請する)社会的な枠組みを踏まえた旅でなくても、いつもの暮らしの中で、旅に行くほどの仲をつねに漂わせていきたい。そうなると、旅に出るワクワク感、日常性は薄れるのではと思われるかもしれないが、そんなことはないだろう。むしろ、薄れるのは大歓迎。それを突き詰めていく中に、さらなる非日常という日常が待っている予感しかなしない。もう楽しいことだけして生きていきたいのだ、homeportは。

 東日本大震災のおり、被害という意味ではそれほどではなかった首都圏でも、交通機関がストップし、大量の帰宅困難者が発生し、タクシーを待つ行列ができた。スマートフォンでソーシャルメディアにアクセスできた一部の人は、首都圏の交通がマヒしていることを知り、その列を離れて自力で帰宅する道を選んだが、いつまでもそこに来ないタクシーを待ち続けた高齢者もいたという。誰かがそこで「待っていてもタクシーは来ないですよ」と声をかけることがなければ、両者は同じ空間を生きていたとしても、同じ社会に生きているとは言えない。

鈴木謙介(2013)『ウェブ社会のゆくえー〈多孔化〉した現実のなかで』NHK出版、同書16頁より



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