読書記録|手づくりのアジール(青木真兵 著)⑦
先日、私が田中君に送った折坂悠太さんの新作アルバム「呪文」。上記の読書記録⑦では、その呪文が話題の中心になっていた。
そこには、田中君が自宅近くで「貸し本棚オーナー募集」に”直感的”に申し込んだことが記されていた。その田中君的私設図書館のイメージとして、折坂さんのインタビューが引用されていた。
このインタビュー記事を踏まえて、田中君はこう書いている。
この「35年の土台」というフレーズで、私は、以前に記した研究レポートを想い出した。私が2015年から約3年かけて通った山形県長井市西根地区。そこで営まれていた「ぼくらの文楽」と題されたフェス。その主催者である船山裕紀さんは同レポートで下記のように述べていた。
この船山さんの発言に対し、私はこのように考察を行っている。
土台だけれども、その土台は常に変化しつづけ、拡張し続ける。そのような場所や時間。そんなものは可能なのだろうか。『手づくりのアジール』の「最強とは何かー山村で自宅を開くこと」の中で青木真兵さんは、下記のように述べている。
隙間を失くして、エアコンディショニング(air conditioning)で温度を一定に伴ち、そこに職場という土台が形成される。それはコンクリートの土台のうえにマイホームを建てることと地続きのような気がする。そのような土台をガチガチに固めて、仕事(労働)と余暇(観光)を往復してきた私たち。(おそらく私が研究してきたフェス主催者(oraganizer)はエアコンとは異なるコンディショニングを司る知・技術なのだと思う。それは「野外」という環境が文字通り象徴している。)
青木さんが繰り返し著書の中で述べている「行ったり来たり」とは、上記のような近代的な二項対立の往還ではなく、自らの身体を常に、揺らぎの中に、開かれの中に置き続けること、それによって他者や周囲の環境の関係を組みなおすこと。それが青木さんのいう「土着」なのだろうし、それによって、近代的な二項対立の中にも身を置いている私たち、その集合体である社会を変える原動力が自ずと生まれるのかもしれない。
「ルチャ・リブロを読み直す」第4回読書会
課題図書:青木真兵(2021)『手づくりのアジールー「土着の知」が生まれるところ』晶文社
第4回:「「最強」とは何か―山村で自宅を開くこと」(P89-110)
2024年7月29日(月)20:00~22:00
会場:homeport(北20条)or オンライン
どなたでも参加可能です。参加希望の方は下記までご連絡ください。
tourismusic.station@gmail.com