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師という罠

今日感じたこと

それは、今までの人生、占い師にしても、誰にしても、その道に詳しい人に教えてもらう事で、その人の言ってる事は正しいと思わないといけないんだという罠にハマっていた

どんなに偉いと言われている人であっても、自分とは合わない(意見もフィーリングも含めて)人はいて、聞いて知ってみてそれでやっぱりこの人の言ってることは私には合わない、と感じることだってある

でも、先生とか師と呼ばれる人たちはそれだけですごいと思いがちだから、信じないとこれ以上良くならないと思ってしまうところがある

それって何かと言ったら、自分に自信がない事で他人にすがって簡単に答えを導いてもらおうとしていたってこと
それって自分の人生を放棄してるのと同じだよね

本当は自分はこれが好きであれをやってこれをしたい!という想いがあるけど、親とか言われた通りに生きてきすぎて、本当の好きを見つけられないでいる
そんな時に、先生たちと出会ってしまうと、この神社が波動が高いとか、これを持つと良いて言われたら、それやれば人生がうまくいくならやります!ってみんなやっちゃう

だけど、本当は自分を知って自分を高める事に突き進んでこそ本当の満足を得られるし安心感も出る

それがわからず、またしばらくするとうまくいかないのはなぜだ…とどこかにすがりたくなる
(もちろん、師だけに限らず男女に依存する事も同じだと思う)

私もこれだったわ〜、と思い出した
占いとか先生という講座に通いまくり、その都度先生のやり方や言われた事が正しいと信じては、また別の先生へとなっていって、一番長く関わっていた先生も全体的に言ってる事はわかるし、とても素晴らしいけれど、全く同じ共感はできなかった。それってダメなのかな?とか悩み始めていた

今なら、合わないと思ってるのに無理してお世話になったからとそのやり方をやらなきゃいけない決まりなんてない!

ベースをそれにして、そこから自分で学んだアレンジを加えて私だけのメソッドを作ったっていいんだと思った

その時に、私の体の中に人格は1つだけしか居ないと思っているけど、本当はもっとたくさんいるんじゃないかって思ったんだ
だって、たまにイライラする時、人が変わったみたいになるとか後になって感じる時があって、それってもしかすると別の人格が顔を出しているのかもしれないと思って
それくらい、人の心や感覚って変わっていいものだと思い始めた
飽き性だから悪いとかそういうのも取っ払って、今何をしたい?次は何が良い?くらいに、コロコロ変わるのが前提だったら、色んな執着を手放して好きに生きてみてもいいのかなぁって

変えたいって事は現状に何か違和感とか嫌な部分が出てきたってことだから、次に行くのは良しとして、嫌な原因を突き止めて、本当はどんな未来の方が良いのか?をちゃんと知ってそれから次へ行けばより良い未来に行ける
それを繰り返していく

そんなふうにこれからは生きていきたいと思った

思い込みの壁をどんどん壊していこう
私もまだまだ壊し中だから
そこをうまくやっていく!

未来は良くなってしまうのだから
この大変さをたくさん味わって
そしてどんどん成長していこう
いつでも見守っているから
たくさん好きな事をやっていいよ

楽しんで

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