見出し画像

Homedoor物語④

人と人をつなぐHUBになりたい

画像1

「こんなんあったらいいと思ってた!」

HUBchariをスタートして数ヶ月。
人を雇うのもビジネスするのも初めてだらけのことで戸惑いつつも、お雇いした4人のホームレスの人たちに助けてもらい、少しずつ事業を軌道に乗せて行った。なかでも、HUBchariの広告物もまだ何も出せていなかった時に「全部拾いもんで作って来たんや」と言って、日曜大工が得意な方がお手製の看板や模型を作って来てくれることもあった。おっちゃんたちの優しさとたくましさが本当に心強かった。その気持ちに応えたいとHUBchariのポートも増やせられるよう、営業活動にも力を入れていった。

画像2

「少しでもいいから、社会に出て働きたいんです。」

それから多くの人が、Homedoorの扉をたたいた。中には十年以上、働いていなかったという人もちらほら。中間的就労として、HUBchariで就労支援を実施する中で、居宅を構え、携帯電話を取得し、次の仕事を見つけていく人も多くなっていた。
行政とも協働し、区役所等にもポート設置が叶った。また、区からの紹介で、生活保護を利用している人が就労支援を受けに来ることもあった。HUBchari以外にも駐輪場管理やマンション管理、清掃等の仕事を受託し、雇用の場を増やしていくこともできた。

次に着手したのが、夜回り活動「ホムパト」だ。Homedoorが拠点を構える大阪市北区を4コースに分かれ、85食のお弁当を配りながら、「路上からでも働ける仕事、ありますよ〜」と声をかけていく。HUBchariでの就労支援を経て、今は家を借りて元ホームレスとなったおっちゃんたちは、今ではホムパトを手伝ってくれる心強い存在だ。
「今日は雨やから、もしかしたらあっちで寝てるんかも」
ホームレス状態から脱出したいと思ったら、誰もが脱出できるようにと願うのは、今や川口だけではない。

「ただいま」と言える場所

画像3

「死ぬか、相談するか、それしか選択肢はありませんでした。」

夜回り活動「ホムパト」を始め、少しずつ認知度が高まるにつれ相談者も増えていった。2015年ごろより、体調不良での駆け込みの相談等、緊急性の高い相談もあり、宿泊支援の必要性が高まっていった。
今こそ、川口が18歳の時に描いた夢の施設を実現するときだった。しかし、設立してまだ5年。HUBchari事業の収入もなかなか安定せず、年度末になると来年は存続できるだろうかと心配になるくらい、資金力が不足していた。ホームレス問題への偏見はまだ根強く、寄付は容易に集まらない。そこで段階的に準備を進めて行った。
まず、生活応援施設をオープンし、その近隣のアパート1部屋を実験的に借り、宿泊支援の効果を検証していった。行政が運営する施設は共同生活が基本で、私たちが目指す、「困っている時こそ、ゆっくり体を休め、次への活力を溜めて欲しい」というものとはかけ離れている。実際に、個室型宿泊施設を要望する声はとても多いことに気づいた。恒久的な住宅に移る前の一時的な安心できる住宅を提供する「トランジショナルハウジング」の重要性を再認識し、施設に最適な物件を探し続け丸3年、あるビルに目星をつけた。

そこは、2~5階でユニットバス付きの個室が18部屋ほど確保でき、1階を団らんスペースや事務所スペースにできるような物件だった。ここであれば、内装費用も格段に抑えて、夢の施設を体現できる。そう確信し、毎月1000円の継続的に寄付で支援してくださるサポーターを集め、借りることにした。ここに来たら、誰もがホッと安堵できるように、路上脱出に必要な機能を付加(&)できるようにという願いを込め、「アンドセンター」と名付けた。

18部屋の宿泊室は2パターン用意し、相談に来たその日から泊まれるような緊急シェルター、そして、長期で滞在し仕事に行きながら貯金し、家を借りられるような長期宿泊だ。また、相談はまだする心境にはないけどシャワーや洗濯、仮眠をしたいと言ったニーズに応えられるように、シャワーや仮眠室等も準備した。

「相談に来たその日から泊まれる」

2018年6月、夢の施設であったアンドセンターをついにオープンできた。それ以降、相談者数もうなぎ登りに増えていった。2020年、コロナの影響から相談者数は年間1000人を超えた。大阪以外からの相談も相次ぎ、各地の支援機関と連携しながら相談にあたった。2021年6月には、アンドセンターではスペースがなく、食事の提供ができないことから隣の物件を改装してカフェ「おかえりキッチン」もオープンした。「しんどい時こそ、最高のおもてなしを。」が コンセプトだ。

ここまで来るのに、だいぶ遠回りも寄り道もしてしまったかもしれない。それでも、一歩一歩着実に、そして、目の前に相談に来られたひとり、またひとりと向き合いながら、真に必要な支援を追求してきた。すべての人にとってのホームへの扉となる道のりは、まだまだ長い。Homedoorは14歳の少女が抱いた気持ちから始まった団体だ。純粋な疑問を忘れず、いつも初心に帰りながら気持ちをたゆませず、活動をこれからも精力的に行っていく。いつでも「ただいま」と「おかえり」が行き交う場所にするために。

お読みいただきありがとうございました。いただいたサポートは、生活にお困りの方への支援として使わせて頂きます。