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Homedoor物語③

14歳でホームレス問題に出会った代表川口が、最初にこの問題にであった時から、Homedoorを立ち上げ今に至るまでのできごとをお読みいただけます。

社会を変える計画を作る

14歳でホームレス問題に出会った代表川口が、最初にこの問題にであった時から、Homedoorを立ち上げ今に至るまでのできごとをお読みいただけます。

「あなたは社会に良さそうなことをしたいんですか?それとも、社会を変えたいんですか?」

Homedoor立ち上げから数ヶ月が過ぎた頃、川口は社会起業塾の講師から手厳しい言葉を投げかけられていた。社会起業塾といえば、数々の社会起業家(社会問題を解決するために起業した人)を生み出している、いわば社会起業家としての登竜門のような塾である。

そんな信望ある塾に、川口は最年少の19歳で入塾を果たした。もちろん、周りはほぼ社会人。しかも、誰もが知っているようなコンサルティング会社、証券会社、総合商社に勤めていたという人たちで、「戦々恐々」という言葉がぴったりであった。ビジネスの経験など全くない川口は、何をどうしていけばいいのかに悩んでいた。ただビジョンだけが決まっている、そんな状況だったからこそ、講師の言葉は心を激しく揺さぶった。
いつの間にか、団体を設立した事で満足してしまっていたのではないか。本来の目的である「ホームレス状態を生み出さないニホンをつくる」ということを何年で成し遂げるのか、それから逆算して今何をすべきなのか、ちゃんと計画を立てていかなければいけないことに気付かされた。

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それからというもの、ひたすらに足を動かし続けた。まずは、モーニング喫茶をあいりん地区で毎朝実施することにした。食べに来て下さるのは元ホームレスの方や、生活保護受給者のおっちゃんたち。彼らと親密になる事で、隠されたニーズを引き出すことに尽力した。他の機関が実施するホームレス問題の調査研究にも体が動く限り参加した。そして、ある一人のおっちゃんの言葉が、Homedoorの将来を大きく変える事となった。

「自転車修理くらいやったらワシでもできるで。」

ある日、ホームレス生活をしているおっちゃんと話していた川口は、一縷の可能性に気づいた。おっちゃんが特技について話していたのだ。それから、その言葉がずっと頭のなかで反芻していた。『もしかしたら、これなんじゃないか』そう思い始めた頃には、足はすでに別のおっちゃんへ向いていた。やはり同じ回答が聞けた。廃品回収をしたことのあるホームレス経験者は全体の過半数である。自転車やリヤカーに何キロもの荷物を載せて街なかを走るため、自然と自転車修理をする機会が多かったようだ。

「自転車に関連した仕事を提供できないだろうか…」

一般的な仕事から離れしばらく経つホームレスの人たちがだからこそ、特技を活かした仕事の方がスムーズに働いてもらえるのではないか。それから、くる日もくる日も、どんなビジネスが良いのか考え続けた。自転車販売の仕事を提供しても、競合がいるため結局、既存の雇用されている人の仕事を奪ってしまいかねず、それではホームレス問題の解決には意味が無い。かと言って、「ホームレスの方が作った自転車」と売りだしたところで、支援目的に買ってくれる人が多く、これではいつまでたってもおっちゃんたちは支援される側だ。悶々と悩みつづけた末、ようやくひとつの答えに辿り着いた。

特技×社会問題=事業誕生

あっちで借りて、こっちで返せるレンタサイクル。

自転車に関するビジネスを調べていく中で、当時、欧米で大流行していた「シェアサイクル」という概念を知った。これは、街中にいくつか「ポート」と呼ばれるステーションを設置し、そのポート間であればどこで自転車を借りても返しても良いシステム。このシステムなら競合もいないし、お客様は別にホームレス支援をしたくて使うわけではなく、「自分が使いたいから使う。それが、いつの間にかホームレス支援にもつながっている」という形が作れる。自転車販売では納得いかなかった点をシェアサイクルが解決してくれたのだ。

しかもシェアサイクルという仕組みはそもそも、違法駐輪などの自転車に関する問題を解決するために取り組まれているもの。シェアサイクルを実施すればホームレス問題だけでなく、自転車問題の解決にも寄与できる。これであれば、おっちゃんたちも支援される側ではなく、支援する側、自転車問題を解決する担い手になってもらえるのではないか。そうなるとますます、働きがいを感じてもらえるのではないかという期待で胸が膨らんだ。

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シェアサイクルを実施しようと思いたったはいいが、なかなか拠点となってくれる店舗やビルオーナーには巡り会えなかった。何百という企業や軒先に足を運んだが、たかが20歳の女子大生の考えに賛同してくれる人はそうそういない。
そこで、常設とまでは行かないが、1週間だけ貸してくれる場所を探して実証実験をしてみようと考えた。2011年7月、4拠点で実証実験を実施することができた。サービス名を「HUBchari」と名付けた。自転車の部品である「ハブ」のように、HUBchariポートが人と人が集まる交流拠点になればという願いを込めた。「こんなんあったら良いと思ってた!」そんな利用者の声を多数もらい、確かな手応えを感じた1週間であった。

実験の成功をもとに、HUBchariの事業化を決めNPO法人格を取得することにした。事業体制を整え、ついに、4名のホームレスの人たちが働くこととなった。川口がホームレス問題に出合ってから6年という歳月は過ぎていたものの、ようやく大きな一歩を踏み出せた瞬間であった。

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