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Vol.30 思い切り遊ぶ、思い切り話す、思い切り寝るが欲しかったよね

最近、運動量が増えて来て
ボール投げも上手くなって来て
大好きなブランコの漕ぎ方も上手くなって時間も長く楽しむ。

いっぱい遊ぶ
遊びに集中していると
不調はない。

つい習慣で頭痛がと言っても
え?と振り返ると
しまった❗️って言う表情をする。

失敗って言うことで、
やり直しできることも知った。

日常の小さな積み重ねで
人は育つんだなーと
改めて感じる。

生まれた時からの親の力って
すごいなーって。


足りないものを数えると
数えきれないほどたくさんあるだろう。

では、今そばにいる私たちのできることは?

里親家庭の養育は
全承認、全肯定から始まっていく。

もちろん、思考では分かっていても許し難い言葉も、行動も沢山ある。

そうやって、自分自身を守って来ている子どもたち。

なぜ?
こうなる前に、誰も手を貸さなかったのか?と思うようなことも
過去には沢山あった。

手話通訳時代に、音が聞こえないことで自然に情報が入らない彼らは、漢字の読み方がわからないことでちょっとした失敗がある。

例えば平成元年を
モトネンと読んで公的な場で
挨拶をしていた。

このような場合、通訳者は二手に分かれていた。
本人が使っている言葉を
そのまま通訳する。

間違っていると分かっているので、ガンネンと通訳する。

わたしは後者。そして後で
ガンネンって読むんだよと伝える。

なぜなら、別な場で同じことがあるかも知れないからである。

このことも、考え方が二つに分かれる。

ろう者を辱めてはいけない。
聴こえる人の習慣を伝える。

ここでもわたしは後者を選ぶ。

ガンタンのガンと同じ。

聞こえないことで、自然には入れらない情報をどうやって埋めていくのか?
本を読む、今であれば字幕放送
文字情報‥。

昔の姿を知っているワタシは
いい時代がやってきたと感じる。

それでもまだ対等かと言われたら
まだまだ。

かと言って、ろう者が
健聴者に劣っているわけじゃない。

同様に、虐げられていた子ども
無視された子ども
親に能力がなかった、そして介入されなかった子ども

私たちは生きるための術を見つけている。

それが一般の常識では
考えられないくらいのことだとしても命をつなげるための手段。

それがどんなに奇妙な行動だとしても命を守ってきたことに変わりはない。

それを想像できる先生
児福司、ケースワーカー
ドクター、心理士、看護士
保健師、
自治体に1人ずついたら状況は変わるだろうな。

そんな国になるのには
まだまだ時間がかかる。

ワタシはこれは国の責任だと感じている。

虐待されている子どもも救えない
虐待されていたかつての子どもも
救えない。
そして高齢者になった人も救えない。

日本って安全で平和な国だと信じている人が多いけど
そんなことないよね。

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