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私の9%

これまで順調に、毎日投稿してきましたが
やはり行き詰まってしまった。
それは私の後悔は中学に詰まっているからです。
だけどこの時期がないと今の私はいないと断言できる程に大切な時期でもある。
中学入学した頃と卒業する頃とでは私は別人のように性格も何もかもが違うので
どう書けば良いのやら、私にはやはり難しいものです。

「お前ら一生笑うなや」

これは一軍女子グループ6人(ぐらいだったかな)に呼び出され私が最後に言い放った言葉。

次の日から笑えなくなったのは勿論、私です。

ある男の子が私を好きになった。
中学生の好きなんて、運動が出来ればカッコよく見えるし軽いものです。
そんな時、一軍女子グループに私は呼び出され、長々と口々に文句を言われ
私は随分と気が強かったものですから
6対1でも怯む事なく
「君たちが何を言ったとしても彼が好きなのは私なんでしょ?」というスタンスです。
これを思っていただけならいいものの
私は口に出して言いました。
最後に妬むなよとさらに追加したりもした。

それから話題は私の悪口で持ちきりです。
6対1だったはずが数十人対1になりました。

何度でも言いますが、私は本当に気が強かったので
教室で聞こえるか聞こえないかぐらいで言われる悪口に対し
「お前ら聞こえとんねん」と反発したりもしました。

私は負けたくなかった、というか
少しでも気を緩ませると泣いてしまいそうだった。
だからどんなに傷付いても強がり、
それを発散するかのように教師に当たりました。
お恥ずかしい話、私の反抗により授業はストップし
なぜそんなに呼び出されるのか?というレベルであまり使われていない教室に呼び出され
怒られる。
まぁ、怒られるのは怖いので気が緩むと泣きそうになるという可愛い部分も持ち合わせていましたが
私はそれでも何もしませんでした。
途中から何もかも消すように休み時間顔を伏せ気づけば午前中が終わり午後も終わり下校の時間です。
ちゃんと寝ていた事はあまりありません。
その間も聞こえてくる私の悪口に耳を澄ませていた。
教科書もノートも私のパラパラ漫画や落書きで汚れる以外は綺麗なものでした。

本当に学校が嫌いだった。
いや、怖かった。
あまりにも悪口を言われすぎたせいで
どこかで笑っている声やヒソヒソ話しをしているところを見ると
私の事を言われている気がして
心の奥がギュッとなるのです。
だけど私はそれを隠し強がり、そして更に嫌われました。
本当に。

そんな中でも私には手を差し伸ばしてくれる人がいて、私はそれを無下に扱いました。

どうせ悪口の材料集めだろうとしか思えなかったからです。
中学1年生は旧校舎の為ボロく暗い教室は
確実に私を蝕み、私は自分の手で追い討ちをかけるかのよう首を締め続け
生きづらく、死んだ魚のような目をしていました。
だけど楽しそうに笑っている記憶もどこかにあり、
あまり覚えていませんが
光がなく、真っ暗なだけではなかったように思います。
ただ強がる事で形成されるボロボロの鎧でひたすらに自分を守り、奮い立たせていた。

話は飛びますが、

姉とは2つ差の為
中学3年生と1年生で、1年かぶります。
姉は自分の友達に
私の妹だよ!と私の話を沢山話す。
これだけ聞くと私の事を好きなように思うかもしれませんが
そんな訳がありません。
姉は自分が良い姉と思われたいが為に私を自慢した。
思ってもいない、可愛いでしょ!なんて言葉を繰り返すのです。
私は胸糞悪く、その嫌な予感は的中し
姉の男友達が私を好きになったからかなんなのか本当の所は分かりませんが
登校中、前を歩いていた姉がいきなりUターンし
凄い形相で私の方へ向かい殴り続けました。
鼻血が止まらなくなり私は逃げるように全身に確かな痛みの感じながら
地面や制服を赤く汚し家に帰ったときの
両親の驚く顔は忘れられない程に
模範的なものでした。

そして私は初めて、今まで姉にされてきた事を話しました。

今まで抑えてきた気持ちは溢れ出し、
その日私は学校を休み、母は父の了承のもと仕事を休んでくれた。
そして私は母に色んな話をしました。

「謝る方はいいよな」
母が言う。
「謝られた方は許さなきゃいけない。それでいつまでも許さないでいると根に持ってる、とか色々言われていつの間にか悪者になったような気持ちになるでしょ」と。
「許すも許さないもあなたが決めればいい」
その言葉は更に私の心を軽くしてくれ、
私は姉が嫌いという、確かにあった心のうちを母にぶつけ、
母は嫌いでもいい、仲悪くてもいい。と言った。
2人がどうであれ、私が2人の母であることに違いはない。
母は私の肩を全て持ち、姉を全否定するような人ではありません。
なので安心して、嫌いという言葉を伝える事ができた。
私の言葉なんかで揺れるような芯のない人間ではないからこそ、信頼できるのです。

私の事を何も知らないのに、知ったように誰かから聞いた噂を自分のものかのように話し、
大きくなったかのように錯覚している
多数派に流れ強くなったかのように私に指差す人とは違う。
(今でこそ、ここまで嫌われてしまった原因が9割強自分にあるという事を自覚していますが、この時は何も考えていないのでお許しください)

そして姉の事を母に話す事で心に余裕ができ、私はその隙間を
「同じ土俵に上がるな」
「いらないプライドは捨てろ」
という言葉で埋めました。

ひとつは、相手の挑発に乗れば勝ち負けが発生するが
同じレベルになっている以上で負けているようなもの。
価値を下げるな
あなたのポジションはいつも斜め上でいなさい。

そして、あなたが生きづらく感じるようなプライドは今すぐ捨ててしまいなさい。
カッコつける必要なんてない。

私は何かある度にその言葉を反芻させる。
同じ土俵にあがらない。
だけどすぐに性格が変わるわけもなく、環境は私の悪口で溢れている為
母に何度も言われる事になる。
母がこれほどまでに私が嫌われていた事を知っているかは分からないが、
きっと悪口をいう人達に気を取られ(同じ土俵にあがり)誰かの優しい気持ちに気が付けないようになってはいけない。
というような意味合いも含まれていたのかもしれない。
私はこの時そこまでの余裕もなく
私の暗闇に光を灯してくれた人が誰だったか
そんな人がいたのか、いなかったのかは曖昧なもので
もしも、自分の人生戻れるとしたら
私は楽しかった時期に戻るのではなく
確実に中学1年生に戻りたいと選択するだろう。

そして、一度も行ったことのないクラスの打ち上げというものに行ってみたい。

そんな事を思ったりもする。
だけど、時間を戻す事は出来ないので、
都合よく解釈し
器用にうまく進むことができず頭を撃ち続けた過去を愛します。

「私の9%」同じ土俵にあがるな

「私の10%」プライドをすて行き着いた先

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