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私の5%

小学3年生、両親は共働きになった。
独立して自分の美容室を建てたんだ。
それまでは母が1時までパートに出ていたが、私が学校から帰る頃には家にいた。
休日は姉がいて、
午後1時になると母が帰ってくる。
なのにある日を境に小学校から帰ると誰もいなかった。
姉とは二つ差のため、私の時間割と違い
私の方が早く帰ってくる。
それでも前よりは必然的に姉と過ごす時間が増えた。

私は姉が苦手だった。
母がいない時の姉はとても怖かった。
帰ってくると優しくなるのだけれど、
私は切り替えがうまくできるタイプではなかった為
母が帰ってきてからも
姉に強く当たられた日は1日暗く、
陰でそれについても姉に怒られた。
私は怖かった。
姉が2人いるようで、とても怖かったんだ。

そして昼下がりの部屋はとても暗かった。

家に帰ると犬が迎えてくれたが
ワンワン!と走ってくるだけで私の求めているお帰りの言葉はなく、
共働きで親が家にいない為
友達を招き入れる事は出来ず、
インドアの私はより一層友達と放課後に遊びたいという気持ちは薄れていく。
アウトドアな姉が遊びに行くと犬の世話は誰がするのだろうか、私しかいない、という妙な使命感もあった気がする。

母は仕事に行く前、忙しい朝の時間に
夜ご飯までを作っていたが、
冷蔵庫に入ったご飯をレンジレンジで加熱し食べるのが私は嫌だった。
これは私が唯一言ったわがままだったが、
母には負担をかけてしまったと今でこそ後悔している。
なんて贅沢者なのだろうか。
だけどあの子の家は出来立てのご飯を食べている。
羨ましくて仕方がなかった。
母はそれから夕方一度ご飯を作りに帰ってくるようになるが
作り終わり仕事に再度行く事もしばしば。
だけど一度たりともそれについて嫌な顔をしなかった。

いつの頃からだろうか。
よく祖母から電話がかかってくるようになった。
1人でいる私を心配したからではない。
電話越しに祖母はいつも泣いていた。
私は話を聞いてあげれば喜ぶ事を知っている為
大変だね
頑張っているね
と言いづけたが
それでも祖母からの愚痴は収まる気配がなかった。
母が人を悪くいうのを異常なまでに嫌がるのは確実にこれがトラウマになっているというのは小学生の私にも明白な事だったが
私が話を聞く事により楽になるのであれば
さほど苦ではないとも思っていたけれど
その頃から私は鏡に向かい話をするようになった。

祖母の吐口は私だったが
私の吐口はなかったからだ。

姉への嫌悪感
鏡にうつる自分を姉と見立て
ひたすらに汚い言葉を吐き続けた。

私が洗濯物を畳み箪笥にしまう
洗い物をする
犬の世話をする
その間、姉はテレビを見ていた
私の大切に残していたお菓子を食べていた。
そしてコミュニケーション能力がない、協調性がないと何かある度にいっていた。
まあ、これについては姉の言う事も間違いではない。

自分でも不思議だったが、
いつからか自分の意思というものがなくなっていた私は
誰かが喜ぶ、喜ばないを基準として生活していた為
何が食べたい?とか
どこに行きたい?という質問に答える事が出来なかった。
本当に何もなかった。
ただお腹は空くので何か食べたいと言う気持ちだけが私の中に確かにあった。
相手がラーメンを食べたいと思っているとしたら私は1ミリも嫌だと思う事なくラーメンを美味しくいただく事が出来るし
それが例えハンバーグでもお好み焼きでもピザであったとしても。
本当はこれが食べたかった、という気持ちはひとつも湧かなかった。
なんでもいいと言う言葉に裏はなく
心の底からなんでも良かった。

なので、私は飲み物を買いに行った時、
お菓子を買ってもらう時、
姉と同じ物を選び続けた。
相手の気持ちが分からなかった為、すぐに人を傷つけていた私は
飲食物でさえ人と同じにする事で
常人という言葉に安心していた。
だけど、その時祖父に
「いつもお姉ちゃんと同じ物を選ぶ、大好きだね」と言われ、
私はその瞬間、とても嫌で、嫌で仕方がなかった。
私が姉を好きなわけがない。
それから姉が嫌いな物を好きになった。
炭酸飲料が苦手だった姉、
私は迷わず飲み物は炭酸飲料がいいと駄々をこね、
選ぶお菓子は姉とは真逆のもの。
だけどやはりそれは私の意思ではなかった。
意地でも姉と違う物を選び
飲みきれない500mlのジュースのペットボトルが車に残り続けた。
協調性がないと言われるのも当然だった。
だけど人前にいる姉は優しいから、私は日頃の鬱憤をはらすように姉に嫌な態度を取り続けた。
今思えば姉の思う壺だった。
周りから見れば優しい姉を困らせる面倒な妹でしか、私はなかったんだ。

ある時私は家政夫のミタを見て、どハマりし
真似をして洗濯物を箪笥にしまっていると姉に本気で怒られた事がある。
今でもなぜあんなに怒られたのか理由はわからないが
私はあのような心のない人間になりたかった。
感情が私の邪魔をしてしまう。
家政婦だと思えば
家主の分まで洗い物をするのなんて当たり前のことのように、順従な人間でいられると思ったからだ。

姉に怒られた後
私は部屋の隅で泣いていた。
そして大切にしていたブタの抱き枕に馬乗りになり殴り続けた。
泣きながら何度も何度も殴っては踏みつけ、蹴りつけた。
そして馬鹿馬鹿しくなり
手を止め、何もなかったかのように残りの洗濯物を箪笥にしまった。

「私の5%」

「私の6%」得た時間。


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