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私の4%

「最後は温かい握手を」

母は私を強く叱った後1時間ほど、
いやもっと長い時の方が多かっただろうか
私が泣き止み、冷静になった頃合いを見て話を始める。
言葉足らずな部分に対しての補足や
真意。
これからどうしていくのか、についても。
私はこの少し面倒な時間が嫌いではなかった。
そして最後に母の大きな手と私の小さな手を重ね合い
握手をする時間がたまらなく愛おしかった。
とても強く叱られてしまった時は、もう許してもらえないのではないか。
見放されてしまうのではないか。
この世の終わりのような気持ちで不安に駆られてしまう。
当たり前だが母に愛想を尽かされてしまっては
私は生きていくことなんて出来やしない。
まだ小学生なのだから。
だけど母は私がどんなにわがままであっても、
いくら拗ね、泣いても
いつもあたたかかった。
母は私の感情的な言葉に対して同調するような事、
例えば、私が学校であった嫌な事、嫌な人への愚痴をぶつけても
一緒になって言うようなことはなく、
必ず解決方法を一緒に考える事になる。
母は本当に人の事を悪く言うのを嫌がった。
だけど最後に私を温かく包み込む瞬間
この人は私を想ってくれているのだと身体で感じる事ができ、
1番の味方なのは私だと言っているようだった。
だからこそ、誰でもできる同調はしなかったのかもしれない。
鬱陶しいと思われてもいい、例え嫌われたとしても
母は何も解決しない、ただいっときの快楽を私に与えようとはしなかった。

そして母が私の背中をさすり
この時、たとえ私が泣いてしまったとしても、
私にどうして泣いているのかは聞いた事はなかった。

母はたまに昔の話をしてくれる時がある。
記憶が曖昧なようで途切れ途切れなものだった為
私の中ではうまく繋がらず、少しもどかしく感じるものだった。

母は本当に泣かない人だったが
頭が痛くなり俯き、胸が苦しいのかギュッと手を胸の方に持っていき、呼吸が荒くなる。
少し経ち、
治ったのか顔をあげると
とても力が入っていたようで
顔や目が赤くなり、そこから涙が流れる。
それは私が叱られた時に見せる涙ではなく、
とても静かで
ただ雫が目から2、3滴零れ落ちただけのようで
泣いている、という表現はまるでしっくりこないものだった。

だけどそうして思い出した記憶も、やはり曖昧なものに変わりはなかった。
私は深入りをしてはいけない気がして
自分から聞くような事はしない。
強い母がとても繊細に見えて
なんだか消えてしまいそうで怖かったから。
思い出さなくても良いと本気で思っていた。
そして、例え聞いていたとしても母は答えられなかっただろう。
覚えていないのだから。

母が私に話す言葉は私にも理解できるよう
かなり噛み砕いてはいたが
どれも筋の通ったもの。
結論までがしっかりあり、ふんわりとしたものではないからこそ
私が疑問に思った事に対しての返答も
とても的確なもの。
だからこその安心感があり、
それでいて、とても繊細な人だと一瞬だけ見せた母の表情、一瞬だけみせた弱い母を
心の中で全肯定した。

「私の4%」

「私の5%」変化する。

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