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私の3%

「どうして泣いているの?」

私が覚えているのは小学生低学年からの記憶だが
おそらくもっと小さい頃から母は私に問いかけていただろう。

小さい頃は私が泣き虫だった事もあり
叱られた時に泣かなかった事は一度も無い。
これは大袈裟な表現ではなく、
事実でしかないんだ。
そして泣いている私に母から毎回発さられるものがある。
それは「どうして泣いているの?」という言葉だ。
これに対し
「ごめんなさい」と返す事はご法度だ。
最終的に辿り着いた答えは
「理由は自分でも分からない」というものだった。
これは嘘ではなく、本当に分からなかったから。
この時の私はまだ知る由もないが
私は自分の話を相手が真剣に耳を傾けているという状況に直面した時、
意図もせず涙が出てくるようになる。
伝えようという意思が強ければ尚のこと、
言葉を慎重に選び相手が消化しやすいものに変換していく時
嘘をついている気持ちにさえなる。
本当は違うのではないか、私は何を伝えたいのだろうか、何を言っているのだろうか。
すると、どんどん目の前の景色がぼやけ歪み
涙が流れてしまう。
これを直すのは本当に大変だった。
今でも目上の人と話す時、気を緩ますと自然と流れてしいそうになる時がある。
だけどこの時はそんな未来が待っている事も私は知らなかった為、
自分でも不思議で仕方がなかったんだ。

分からないなりに必死に何か言わないとと考えた結果、
怖いから、と言ってしまった時がある。
後から笑っていたが、その時はヒートアップした。
苦し紛れに絞り出した答えであり、
自分でもあまりしっくりきていなかった為
かなり後悔した記憶がある。

母は私の言動に対しての理由をひとつひとつ問う。
ごめんなさいに対しては、何に対しての謝罪なのか。
わかってる?と聞かれ
はい。と答えると、何がわかったのか、について。
沈黙があると、なぜ何も言わないのか?というのがプラスされていくという負のスパイラルだ。
残念ながら我が家に黙秘権なんて存在しなかった。

母は時間をとても大切にする。
人といる時間は自分だけの時間じゃない、
相手の時間との共有なんだと、
だから無駄にしてはいけない。
相手の時間を返してあげる事は出来ないのだから。

小学生低学年の私にはこの時間は拷問のように感じたが、
今思えばそれは大人になった時に
常識とされるものだった。

相手が自分に時間を割いてまでも何かを伝えようとしてくれている中、
沈黙でその場を凌ごうなんて酷いものだ。
考える時間がほしい時は
少し考えてもいいかと言葉を挟むべきだろう。

そして母は私を叱りながらも私を理解しようとしていた。
私がなぜ泣いているのか、
自分が伝えたい事がちゃんと相手に伝わっているのか、
そして、それに対してどう感じたのか。
何に対しての謝罪であり、
その結果、何をこれから意識していくのか。
母は小学生の私を1人の人間として見ていた。
子供とはいえ、感情はある。
個性がある。
だから自分の感情だけを押し付けぬよう、接していた。

それに気づいた時、私は嬉しくてたまらなかった。

「私の3%」母の問いの意味。

「私の4%」続き

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