お久しぶりです

最後に書いたのは12月でしたね。
私は錠剤をのみ自殺未遂まがいの事をしましたが、あの後数週間勉強ができず放心状態が1週間と少し。
また勉強を始めてからは2時に起床し働き勉強をするという日々を過ごしました。
そして1月、合格しました。
試験中は沢山勉強をしたお陰か、落ち着きながら進める事が出来、余裕をもって合格した。
やっと勉強から解放される。
そして1月、仕事を辞めた。
おいおい、どうしたんだよ、大丈夫か。と思われそうだけど、
私は前職を元々二年で辞めると決めていた。
その前の仕事は美容師、それを辞める際同じ業界で働くか否か。
転職を考える際、美容師に限らずそんな考えが浮かぶだろう。
だけど私は、美容師になりたいのではない。この美容室で働きたかったのだ。やめるかやめないか、それは随分と悩みましたよ。
とても素敵な美容室ですから、尚の事。
だけど私は辞めました。そして案の定、病みました。
1年間、365日をかけて病みました。
なら、辞めなければいいじゃないかという疑問が浮かんだかもしれませんが、私は売れっ子スタイリストになりたいとは思いませんでした。ずっとアシスタントでいいとさえ思っていましたね。
だけど、低賃金で夢もなくスタイリストになりたいわけでもなく、ずっとアシスタントで、というのは非現実的です。

話は少し変わりますが、「自信」というのは2種類あります。
1つは、他人につけてもらった自信
もう1つは、自分でつけた自信です。
私はこの、自分でつけた自信だけを信用し、生きてきたのです。
私の頑張りは私が認めないと努力とは言わず、その基準というものは決して低いものではありませんでした。
基準が自分というのは、とても生きにくいものです。
だけどなぜ、生きにくいと分かっていながらもなおさなかったのか。
それは、絶対的だと思っていたから。

「他人につけてもらった自信」の脆さ。
例えば、Aに「可愛いね」と毎日言ってもらえて、私は可愛いんだと自信を持ったとしても
突然、Aに「あれは嘘だ、君は可愛くない」と手の平を返されたらどうだろう。
私は可愛くなかったんだ。そんな気持ちになってしまう。
極端な話ですけどね、ダメージが大きいんですよ、そして脆い。

その点、自分でつけた自信なら、例え可愛くないと言われたとしても
自分の好きや、可愛いを信じて進んでいるだけです。
元々評価を求めているわけではなく、己の理想に近づくためなのでダメージは少ないだろうし、努力はやめないでしょう。

私はそんな無理やりな持論の元、他人から受けた評価や誉め言葉はありがたく受け取りはするけれど重要なことではありませんでした。
ナルシストに聞こえますが、かっこつけてると思われているうちはまだ駄目です。
かっこつけなくても生きていける、かっこいい人に私はなりたいです。

では、話を戻しますね。

私が1年間病んだ、というのは精神科に相談をした、とかそういうものではありませんでした。
きちんと働いていましたし、笑ってもいました。
そして、少しでも力を抜けば確実に進めなくなるというのが目に見えていました。
精神科に行けば、鬱だと診断されたかもしれませんし、今となっては分かりませんが、何度か腕を切り、突然涙が止まらなくなり、夜は自分で自分を抱きしめてあげました。
イタイ子かもしれません。だけど相談なんてできないじゃないですか。
それでも、私は私を認めてあげられなかった。
そして、他人に、家族に、愛のある言葉をかけられたとしても心には響きませんでした。
その場では大いに喜んで見せられます。
空気を悪くするようなことはありません。
だけど、私が認めないと意味がありません。

資格の勉強を始めてから頑張っている感に満足し始めます。
追い込まれていく感覚や、眠いという感覚さえも私を満たし、
病まない為には暇な時間を作らない、というのは本当のようです。

だけど、要はバランスが大切なんですよね。
私はどんどん自分を追い込んでいき、歯止めがきかなくなり、12月に一度試験に落ちただけで全てが真っ暗になった。
おそらく、今までで一番だったように思います。
私はどうも偏った考え方のようで、この自信は他人につけてもらったとか
自分でつけた、だとかいちいち考えて生きているんですよ。
考えるのは大切ですが、考えないのも大切です。
白黒はっきりとさせたくなりますが、中間でもいいじゃない。
絶対的何かなんてありません。
一度こうしたから最後まで、なんて決まりもなく
心が穏やかな選択をすればいい。
これは楽な方に進む、ということではない。
いや、楽な選択をしたっていいのではないか。

なぜこんなことを思うのかといえば、137億年の物語という、宇宙が始まってから現在までの歴史という大きく重い本を買い、
生きているだけで、奇跡だ!という、安っぽい感想で頭がいっぱいになったから。
だけど本当に、生きてるだけで奇跡なんですよ。
私は生きているだけで偉い、という言葉はあまり好きではありませんが
確実に奇跡だとは思います。
色んな偶然により、幸運により、人間は誕生し、今まで繋がってきているわけですから、本当に奇跡だと。

何の話か分からなくなりましたが
私の頭の中を整理するには十分でした。

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