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私の12%

自分の感情。

私は母と色んな話をし、
いつからか自分の感情が死につつあった。
いや、蓋をしつつあったという方が正確か。
要は、相手がこう思うであろう言葉を察し相手が言いそうな事をあたかも自分の意見のように伝えた。

母がそう仕向けたのではない。
私がそうしたいからしたんだ。

だけどそれは反抗期という形で歪なものに変わり
私はそれが終わる頃
伝え方を変えた。
「あなたならこう考えるかもしれないけれど、今の私はこうしたいと思っている」
「これは解決したいというより話を聞いてほしいだけなんだけど」
そんなふうに前置きを置いたりもした。

「ここに一本、糸があるとするでしょ?
あなたはその糸に自ら複雑に絡まりにいき、解けないと糸ごと切り落とす。
だけど本当はただの一本の糸だよ?」
母がそんな事を言った事があった。

そして突然何もかも壊してしまうんだ。
私が構築するものにはいつも時限爆弾が付いていた。
             (:私の10%より) 

時限爆弾と一本の糸、表現の仕方は違えど同じ事だった。
そして母の例え話は私を妙に納得させ
難しく思える事も、単純なものだと気づく。
感情というものが複雑にさせる事もあるが
それもまた小さく分解し
それぞれになぜ?と疑問を持っとやはり単純なものであり、
ヤケになり更地にする必要もなく壊す必要もない。

私がもしも器用な人間であれば
この様に考えなくても感覚的に分かるのかもしれない。
だけど私は不器用であり、
そして不器用である事を隠したいともマイナスとも思っていない。
現状に満足し考える事をやめてしまえばきっと本質的なものに気がつかず、
人に伝える事ができないし応用がきかないから。
これは器用な人間を批判しているわけでも
考えていないと言っているのでもなく
私が私を認めてあげるための逃げの様なものです。

だからどうする?という考え方は
今すぐに前に進むことを前提にしているわけではなく
だから休む、でも、だから戻る。でも良いわけです。
休み、余裕が生まれる事により見えてくるものもあり
戻るから気づける事もある。
回り道をしているようで、それが結果的に不器用に人の目にはうつる事があるかもしれないけれど
自分の力で創り上げるものは簡単には崩れず
崩そうとしても更地にはならないものです。 
「他人につけてもらった自信は他人により簡単に壊れてしまう」
自分で構築するからこそ意味があった。
やり遂げれば不器用という言葉は別の言葉、
例えば、努力家などに変換できる。
私の不器用は姿を変える為の過程であると
思っているからこそ、不器用な自分ごと認めてあげたい。

そんなふうに思うのです。

「私の12%」

「私の13%」

そして私は高校生になる。
両親が美容師であり私は美容の専門学校と高校が併学になっている所に行く。

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