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私の10%

中学2年生、私はいらないプライドを捨てるという
割と簡単な方から意識し、(本質は理解していない)
それはイジられるという分かりやすい結果として現れた。

程よくというのが分からなかったのもあり
相当なイジられ具合だったような気がする。
だけど私はヘラヘラとし続けた。
クラス替えもしたが、やはり最初は居心地の良いものではなかった。
それでも私は変わりたかった。
この面白い程に嫌われている状況を変えたかった。
そしてそれはクラス替えをした今しかない。

「嫌いな人に嫌われたくない」母が言う。
言葉は少し乱暴になるが、
自分が嫌いだと思っている人から嫌われたらその人以下になる、という事だろう。
私は母の言葉をそのまま受け入れ行動する。
今までもそうだった。

そして私はだんだんと1人で悶々とする事が多くなった。
未熟な私は言葉を分解する事が出来なかったからだ。
考え方を自分のものにできていない為
勿論答えは出ない。
私はまた答えを求め、それはもう悪循環でしかなかった。
そして突然何もかも壊してしまうんだ。
私が構築するものにはいつも時限爆弾が付いていた。

私はかなり投げやりに「嫌いな人に私は嫌われてもいい」と母に伝えた。
恐らく母の教えてくれた言葉に対して初めて違うことを言った気がする。
母は私を自分の所有物のような扱いをする人ではない。
だからと言って私の言う事に全て賛同し
自分の考えに蓋をするわけでもない。
個々としての尊重をしてくれた。

「受け入れると受け止めるって違うんだよ」

全てを受け入れる必要はないけれど
全てを受け止めるようにはしたい。
母が言う。
受け止めた上で、自分の考えや生き方が豊かになるのであれば受け入れ
そうでなければ受け止めるだけでいい。
あえて跳ね除ける必要はない。
だからね、私が言う事を全て受け入れるんじゃなくて
受け止めて
自分で考えて、自分のものにしたいものだけ受け入れて自分の豊かさを自分で作りなさいと。

私はその言葉を受け止め、
じっくりと消化し、そっと大切なものをしまうよう受け入れた。
どういう気持ちでこの言葉を発したのか。
私の受け取り方と相手の伝えたかった事は一致しているのだろうか。
考えるのは心地よかった。
母の言葉はやけに真っ直ぐで迷いがない。
それは母が自分の考えを自分の中でしっかりと消化し自分のものにしているからだと改めて気がつく。


そして元々あまりしなかったが
言い訳や人のせいにするという事は
意識せずともしなくなった。

それは全て自分が決めているから。
誰かが私の道を決めたとしても、それに従うのは自分だ。
そこに私の意思がある。
だからこそ慎重に考える。
考えなければいけない。

だけど言葉を受け止め、自分で選択するようになってから
私は起きた事柄と自分の感情やその場の環境、全てがまとまりきらず途切れ途切れになっている状態の時が多くなった。

その状態で母に話すのは少し不安なものだった。
だけど器用に隠す事はできず、
誰がどう見ても、悩んでいます!と顔に書きながら過ごしてしまっていた。

そして母はその繋がってない部分を
「だからどうする」と言う言葉で繋げ合わせた。
正確には、私があまりにもクヨクヨしている為
少々キレ気味で発する関西弁、
「だからどうすんねん」だ。

その時、なぜ私は自分の考えを繋げられなかったのかと客観視してみると
母が言いそうな事が少し分かってきていたからだと思う。
自分の感情と母の言葉(感情)の差異に躓き、進む事ができなかった。
母と違う事が悪のように感じ
出来の悪い自分を責めたりした。

母が喜ぶ言葉を選び、言うのは簡単に思えたが
それは自分の考えでなく嘘のように感じてならなかった。
自分の愚かさを認めたくはなく、
母に悟られたくもなく
私は母に相談し母の話を聞くのを避けるようになる。

「私の10%」本末転倒

「私の11%」

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