渇水/金/ボラ

 映画「渇水」を観に行こうと思った。平成初期に芥川賞候補となった小説の映画化であるらしい。それに便乗して製作元の角川から当該作の文庫が出た。150ページほどの短篇集で、700円。足元を見ているというか文庫の値上げがすさまじいというか、ただでさえ寒い懐がさらに凍えた。映画館で半権を買う。値段が、2000円になっていた。ちょっと前までは1900円だった気がする。もう少し前は1800円。とうとう2000円台に到達したのか。映画と本とでしめて2700円。私の中学生のときのお小遣いがそっくり消える。大人でよかったと思うべきか、天井知らずの各種値上げを憂うるべきか、ともあれ青色吐息の世相である。

 「渇水」は水道局員の主人公と、その彼が水の差し止めのために訪れたある家の姉妹とをめぐる物語。姉妹の母親はシングルマザーで、放蕩を重ねてめったに家に帰ってこない。それでなくとも雨が降らずに水不足の状況で、断水の憂き目にあって、姉妹は公園や近隣の家の外付け蛇口から盗水する。姉妹ともまだ小学生くらいだ。辺りを窺いながら人の家から水を頂戴していると、住人に見つかり、水のたっぷり入ったバケツを抱えて一目散に逃げる。そのとき姉が転んでしまって、水をぶちまけてしまう。もうやだ、と泣き出しそうになる姉を見て、妹のほうが先にべそをかく。すると姉の方が妹を掻き抱いて、「涙だって水なんだよ」と言い含める場面で、私も目からとめどなく水を流した。映画に払った2000円でたっぷり彼女たちに水を買ってあげたいと思った。
 小説では姉妹が自殺する。「渇水」の芥川賞の選評を読んだときにネタバレされた。悔しいので私もネタバレをおすそ分けする。映画では、穏当なラストが待っていて、彼女らに渡されたささやかな希望にまた泣いた。主演の生田斗真も格好良かった。値段分の価値のある一作だった。映画も、小説も。

 そういうわけでたくさん自分の体から水を流したので酒で補充している。はやく禁酒と禁煙をしなければならない。今年の頭からそう念じている。じっさいは夜になると決意はたやすく崩れてしまう。もうどうしようもない。こんな世相だ、飲まなければやってられない。しかし酒も十円二十円としだいに値上がってきている。煙草だって今は600円、私が吸い始めたころは460円だったはずだ。そう遠くないうちに650円とか700円とかに上がるだろう。諸物価は高くなっているのに給料ばかりが上がらないどころか年々とられる額が多くなっている。もうどうしようもない。あと一週間ちょっとで私は29歳になる。いい大人だ。そんないい大人が普段していることといえば、各種SNSで暴言をまき散らして気を晴らしている。もうどうしようもない。そんな己の身の上を顧みるとまた目から酒が漏れてくる。もったいない。いい大人が泣くんじゃない。はい。

 暴言をまき散らしていると、場所を変えてサシでやり取りしようぜと誘われるときがある。私は消していたLINEをまたインストールして、相手のQRコードを読み取りともだちに追加するわけである。通話を開始する。さっきまでネット上で罵倒しあっていたとはいえ、はじめましての間柄、穏当にハンドルネームを言い合う。どうやら同い年であるらしい。相手が大学はどこを出たかと聞いてきた。私は答えた。それを受けて相手は、おれは中京から早稲田の院に入った、と始めた。早稲田の文学の院は名門であるらしい。それから院を中退して、いまは法政の通信で国語の教員免許を取ろうとしているという。住みは実家の愛知であるらしかった。よくわからない相手の訛りは、すると名古屋弁とでもいうのだろうか。私には関西弁との違いが判らなかった。結構な経歴ですな、と私は肯った。アメリカ文学について知っているか? と相手は続けて訊いた。私は詳しくなかった。ロシア文学は? 私は詳しくなかった。探偵小説の由来は知っているか? 相手の質問攻めは続いた。私はあまり本を読まないから詳しくなかった。そう返事した。彼はそこから教員志望らしく小説講義を始めた。私は自分の国語教員免許を彼に譲りたい気持ちになった。立て板に水のごとくすらすら見当違いのことばかりしゃべっているので、私は笑ってしまった。なんで笑ってるんだ、と彼は強い語調だ。だって親のすねをかじって大学にもう十年も通ってその程度なんて、と私はけらけら言った。通話は途切れた。あとで私は彼から狂人扱いされてるのを知った。せっかくともだちが出来たと思ったのにね。

 たしかに私は、狂人と呼ばれて差し支えない。狂ってる? それ、褒め言葉ね。好きな音楽 eminem尊敬する人間 アドルフ・ヒトラー(虐殺行為はNO)なんつってる間に20時っすよ(笑) あ~あ、労働者の辛いとこね、これ。当たり屋のようにヘイトをまき散らして気をよくしている毎日だ。頭がおかしいと思う。頭がおかしくなっちゃった。酒のせいだろうか。生来の性分だろうか。今となっては見当もつかない。もう少し若いころは、好青年だった気がする。瞳も希望に燃えていた。それがどうだ。鏡を見る。うろんな目。白く濁って光ひとつ宿していない。白痴の目だ。それはたとえば魚のボラに似ている。

こんなの

 高井有一の未完の小説「帰還」に、主人公が自分の父親から「お前は狂ってるな」と詰められる場面がある。主人公は間髪入れず「うん、狂ってる」と応じる。その後、精神病院にぶちこまれるわけだが、この応酬が私は大好きだ。あいにくお前は狂ってるとじかに指摘してくれる人もいないため、私は社会の底をボラのように泳ぎながら自分に言い聞かせる。うん狂ってる、うん狂ってる。好きな音楽アドルフ・ヒトラー尊敬する人間eminem(武器隠匿所持罪はNO)うん、狂ってる。

 日記。スーパーに行くとボラが安かった。魚なんて物価が上がってからもうずっと口にしていない。買って帰った。まな板でさばく。貧相な見た目のくせに、誰にも生身を傷つけられないように鱗でびっしりと身を鎧っている。そんなところまでまるで自分自身の生き写しのようで、私はすこしボラに愛着がわいた。頭はたやすく落とせた。臓物がまろび出て、汚い。刺身にして食べた。あまりおいしくなかった。臭かった。

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