日記(2023/04/25)

24日夕方、札幌市の地下鉄・大通駅の構内で、「なた」を持った男が暴れる騒ぎがありました。帰宅する多くの人々が行き交う時間帯で、現場は一時騒然となりました。

札幌・地下鉄駅でナタ振り回し…「ぶっ殺してやる」暴れ挑発 26歳男を逮捕

 札幌は数日前に桜も満開に達し、いよいよ春めいてきた。とはいえまだ肌寒い朝夕に、軽い上着は欠かせない。布団もまだ冬用にしている。

 もう一年も三分の一が終わろうとしている。何もしてない。これからも何もしないまま三分の二に至り大晦日を迎え来年になる。容易に想像の付く未来予想図だ。

 来年になったら何がある? 私は30歳になる。嘘だろ。30歳? ついこの間まで18歳だった気がする。世界はきらきら前途豊かに、肩で風を切って歩いていた。それがどうだ。暗澹とした変わり映えのない毎日を十年続けて、いま、28歳。十年前の青年の私に合わせる顔がない。十年後の今の私は着た切り雀のせんべい布団、みすぼらしいおじさんになって久しい。袋小路のくすんだ世界で、おっかなびっくり毎日をやり過ごしている。このままでいいんだろうか。よくない。わかってるんだ。わかっていてももう、どこにも行ける場所はないんだよ。もう、お前は、おじさんなんだ。仕事帰りに近所の桜の植わっているところを通った。数日前まで満開だったのが、いまはすこし褪せている。花の色は移りにけりないたづらにわが身世にふるながめせしまに。

 朝、おじさんは目を覚ました。Twitterを開くと、札幌大通駅で、通り魔があったらしい。野次馬根性で調べた。犯人のtwitterアカウントが残っていた。さぞかしへんなことばかり呟いていたのだろうと覗いてみると、しごく普通だった。てっきりおじさんみたいに風俗嬢は子宮全摘しろとかヘイトスピーチを垂れ流しているのかと思った。
 そのアカウントのタイムラインを遡っていく。精神疾患を抱えていて二重に整形手術をしてかつて3年ほど介護施設で働いていて今は無職で実家暮らしでジムに通っていて酒の中毒者でアニメが好きで村田沙耶香「消滅世界」を読んでいてたぶん読書好きな、札幌住みの二個下の男性だと、それだけわかった。こんな情報をいくら集めたところで分かった気になるのは、人間というものに失礼だ。しかし失礼ついでに一歩進んで考えたら、おじさんは彼と出会っていたら友達になれた気がした。おじさんも底辺労働者で酒もアニメも読書も好きだし、なにより年も近い。たまにハッとさせられるツイートもある。事件の二週間前、〈社会に属したいなもう純粋に〉――彼も彼なりのどん詰まりに行き当たって、ネット上に残した言葉であるのだろう。おじさんも今この袋小路から、つまらぬ駄文を長々と繰り出している。要約してしまえば、しかし、〈社会に属したいなもう純粋に〉それにつきるように思えた。きちんとした身分を持って、パートナーに巡り合って、子をもうけて、おじさんも彼も夢抱いていた社会とは世界とは、そのイメージはきっとそういう類のものだろう。ある種の人たちはそれだけが社会じゃないよ幸せじゃないよと諭してくるかもしれないが、そんなものはなんの処方箋にもならない。社会に属したいなもう純粋に。そうだな。

 刃渡り19㎝のナタという、あまりに心許ない武器ひとつで、大通駅の休憩スペースその卓上に立つやいなや大音声で怒鳴り散らし、周りには駅員や静止する警官、その外周には物見遊山でもするように現場を撮影する通行人、属したかった社会に包囲され、彼はチェンソーマンの敵役を演じた。メディアは面白がるように「おれは酒の悪魔、デビルハンターを呼べ」などと見出しを躍らせ、彼はネタとして消費されている。平和な春の光景。人身の被害はなかった。社会の懐が広ければ、彼にもいつか再起の機会があるだろう。今の社会にそんな器量があるなんて、おじさんには思えないのが悲しい。

 仕事中もずっと彼のことを考えていた。ツイートの断片でしか知らない彼、自分で好き勝手に肉付けしながら、ただ誰かの身の上を想像するというのはいつだってそういう作業だ。他人のことを十全に理解できるなんてあるはずもなく、当人しかあずかり知らぬ空白の部分に、自分なりに色付けしてゆく。おれは酒の悪魔、デビルハンターを呼べと叫んだ彼と、社会に属したいなもう純粋にと呟いた彼の、その間の空白。彼なりに地続きだったはずの生活を想像する。友達になれそうだな、とそれだけ思った。

 仕事を終えて、大通駅に立ち寄った。昨夜、ここで、彼は。通行人は何事もなかったように周囲を通り過ぎていく。おじさんがここで19㎝のナタを振り回す姿を想像した。袋小路は切り開けそうになかった。じゃあどうすればいいんだ。どうしたらよかったんだ。どうしようもなかった。彼は今、弁護士が来るまで黙秘している。

 日記。酒を飲んで日記を書く。社会に属したいなもう純粋に。そういうことを書いている。

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