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「ベルナデット」面白かった!「ベルナデット」面白かった!「ベルナデット」面白かった!「ベルナデット」面白かった!「ベルナデット」面白かった!

 映画「ベルナデット 最強のファーストレディ」を観てきた。フランスのコメディ映画。シラク大統領夫人であるベルナデット・彼女を主人公にして、強権的な夫に対する鮮やかな逆襲の一幕までを物語っている。気の利いたユーモアや主人公自身のしたたかさが良くて、とても面白かった。パンフを買ったらフェミニズムという単語が頻出していて、これがフェミニズム……? という気がしないでもない。前観たインド映画「花嫁はどこへ?」(傑作)もフェミニズムの文脈で解釈している向きが多かったけれど、わたしにはよく分からない。なんでもかんでもフェミニズムの杓子定規で測ればいいっていうもんでもないだろう。そんなものなくても、わたしにとって良い映画は良いのだ。女性の自立が描かれているからうおおおおお! フェミニズムだ!!!! と短絡的に結び付けるのは映画にもフェミニズムにも失礼だと思う。映画は映画として、喜悲劇の出来如何を楽しみたい。

 しかしそれにしても、映画の感想って難しい。本の感想よりもずっと。それはわたしがまだ映画を観慣れていないせいもあるのだろう。本ならば、わたしは少しは読み慣れているから、たとえば「容疑者xの献身」の面白さと「ノルウェイの森」の面白さを、区別して語ることができる。けれど、いざ映画になるとそれがまったく不鮮明だ。「ベルナデット」は面白かった。「花嫁はどこへ?」も面白かった。最近公開されたクリスマス映画「レッド・ワン」もそれはそれは面白かった。「アビゲイル」という吸血鬼のスリラーものもたいへん面白かった。アニメ映画「がんばっていきまっしょい」も青春ものとして面白かった。
 どれもこれも面白かった、けれども、そのグラデーションを説明できない。ことばが足らない。面白い、と一口に言っても様々な白さがある。白って200色あるからね。いまは、わたしは、白の名前を一つひとつ憶えている最中なのだ。読書の白さなら少しばかり見識がある。ミステリ小説の白をわたしは語れる。村上春樹の白色をわたしは語れる。

 思想は、色だ。白をたやすく染める。赤に、黒に、ピンクに、虹色に。そうしたら、多少は語りやすいだろう。けれど、わたしは、そんなふうに脚色された感想や批評を求めていないのだった。200ある白のグラデーションを判別したいのだ。たくさんの異なる白を十把一絡げにフェミニズムで染めてしまうのは、あまりに物足らない。
 ただ、わたしもともすれば水が低きに流れるように自分の好きな色で物語を解釈してしまいそうになる。色眼鏡とは言いえて妙だ。眼鏡をはずして裸眼で向かい合っているような、そういう映画評を読みたいし書きたい。

 とはいえわたしは目が悪いので、眼鏡に頼ってばかりいる。わたしのお気に入りの色眼鏡は赤で、作中で流れる血の量が多ければ多いほどいい、という信念だ。「アビゲイル」で啓蒙されたものだ。これをかけていると、「ベルナデット」や「花嫁はどこへ?」なんてまったく血が流れないので駄作ということになってしまう。しかし、それは偏見だ。「ベルナデット」も「花嫁はどこへ?」もとっても名作なのだから。わたしは眼鏡を探す。果たしてフェミニズムの眼鏡がいちばん度が合いそうだった。

 白を白として様々に分別する、そういう作業を、わたしは長らくしていなかったなと思い知らされる。お仕着せの色眼鏡をことあるごとに付け替えるみたいな、右顧左眄の、つまらない、ありふれた、カスみたいな感想を発出するだけで満足している。「ベルナデット」は女性の自立を描いた大変よくできたヒューマニズムでフェミニズムな映画でした! そんな言葉は、白痴でも口にできるだろう。
 眼鏡なんていらない! と、わたしはせめて自分自身がいつか映画に対しても啖呵を切ることのできるときがくればいいと願っている。「容疑者xの献身」の面白さと「ノルウェイの森」の面白さを区別して語るみたいに、小説の白のグラデーションを語るみたいに、映画の面白さのグラデーションをわたしは手に入れたい。わたしは、フェミニズム以外の要素で「ベルナデット」を語りたいのだった。しかし、それには手持ちの語彙があまりに乏しい。わたしはやむなく繰り返すばかりなのだ。「ベルナデット」面白かった! ……「ベルナデット」面白かった! ……「ベルナデット」面白かった! …………

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