雪/日記/赤染晶子

 朝方から降りはじめた雪はうすく積もって、昼頃にはすっかり溶けた。明日からはなにごともせわしい12月、冬はとうに始まっている。

 彼女とのデートは夕方頃から、忙しない天気はまた雪模様に変わり、大通りで開催中のクリスマスイルミネーションに、降る雪はあざやかに映えていた。彼女は傘を差した。相合い傘などする女ではない。傘の幅分の距離が空く。私は女に任された荷物いっぱいのカバンを掛けながら、えっちらおっちら歩いた。道民なのに雪に傘を差すとは、なんて勝手な偏見を抱いたりした。

 今月の頭に出会い、付き合ってその前後、何度ものデートを経て、この女とはまるで合わないということだけを確かめている。
 食の趣味も金銭感覚も時間の使い方も聴く音楽も読む本もことばづかいも距離感も、他人であるとはそういうことであるし、何もかも同じくしているというのはかえって気持ち悪いが、ただこうも食い違うと、たとえ同棲やら将来やらを見据えた付き合いをしているとしても、その生活の一切が思い浮かばない。二人同じ空間でゆっくりしている図が想像できず、辛うじて想像してみれば辟易する。いちばんほっとするときはデート終わりで、ようやく帰れると思う。読みさしの本を読みたい。お互い思っていることは同じかもしれない。
 好きなんて口先だけでどうとでも言える。しかしいったい、何があれば何を確かめれば好意は伝わるものなのだろう。嫌悪感ばかり人から向けられてきたので、私は他人の感情が、悪しきものしか把握できなくなっていた。

 明日も雪の予報だ。積もった方が暖かいのでありがたい。はやく路ばたが真っ白になればいい。中途半端に降ると道は凍って空っ風ばかりが肌を刺してひとたまりもない。私は冬が好きだ。夏服よりも冬服のほうが多い。彼女と出会ったのがこの季節でよかった。夏場だったらデートに着ていく服のバリエーションがもうない。冬はバリエーションがなくなっても外套を羽織ればごまかせるので、私みたいな服音痴にはうってつけの季節である。今日も彼女と待ち合わせて出会ったとき、ようやく降ったねとうきうきして言った。わたし冬は嫌い、と女は返した。そうかい、と私は思った。

§ § §

 それはそうと赤染晶子という作家のエッセイ集が出版されたのだ。十年前くらいに芥川賞を受賞し、しかし鳴かず飛ばずのまま忘れられて、2017年に早逝した小説家。palmbooksという新興の出版社、その第一刊行物に赤染晶子「じゃむパンの日」という一冊が世に出た。本の体裁は同人誌風の一冊、東京の文学フリマで先行発売されたらしい。この時ばかりは東京住みの人間が羨ましかった。

 「じゃむパンの日」は各編数ページのエッセイと、岸本佐知子というエッセイストとの交換日記からなる、簡素な単行本だ。詰まっていることばはどれも素敵で、私は今まで彼女の小説しか知らなかったから、エッセイという分野で赤染晶子の文章に触れたとき、また惚れ直した。妙味、という単語は彼女のためにある。余分なものひとつなく軽やかに世界を描き出す、その筆力といったら! 
 私は高校生のときに赤染晶子の芥川賞受賞作「乙女の密告」を読んだ。その一冊で私は打ちのめされてしまった。こんな素敵な文章を書く人がいるのかと、夢中になった。ストーリーやキャラクターはもちろんだが、文章じたいに魅力があった。それはエッセイであっても、むしろエッセイであるからこそ、間近に伝わる赤染晶子の息づかい。作中の「安全運転」というエッセイ、その冒頭。

 わたしは自動車学校に通った。教習所には野良猫がたくさんいた。数えたら、十八匹いた。なぜですか。教官に聞いた。「猫さんに聞いてくれ」と言われた。わたしは車に乗る。教習所内のコースを走る。コースの中にも猫がいる。わたしは待つ。猫にクラクションを鳴らしてはならない。

 いいにゃあ。とてもいいにゃあ。何もかもがそろっている。この一篇は結末に至るまでほんとうに美しい。本では3ページほど、しかし私が凡百のことばを重ねたところで、この一作には及ばない。こんな調子でひとつひとつ悶えながら読んだ。

 好きなものを語るのは楽しく、好きと伝えるのは気持ちよく、誰かが赤染晶子を読めばさらにうれしく、赤染晶子にならば素直に好意を伝えられる。赤染晶子と付き合いたかった。歳の差なんて関係ない。愛さえあればいいじゃないか。しかしまあ、赤染晶子が私を好きになってくれるかはわからない。とりあえずは初デートはランチに行こう。二回目のデートでは「すずめの戸締まり」を観にいく。三度目で告白する。完璧だ。

 しかし赤染晶子はもういない。この世のどこにも、新たなことばは遺されない。私は今ここ、このどうしようもない嫌悪感と閉塞感のなかを生き延びながら、日々接している人を大切にするしかなさそうだった。私は今、脈絡のない話をしている。赤染晶子ならばこんな駄文は書かない。せめて一節だけでも、彼女のことばへの姿勢をまねて、何か書けるときが来ればいい。

 日記。部屋のなかもすっかり寒い。ストーブを焚いてから寝る。

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