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立冬

 朝、起きると雪が降っていた。札幌の初雪だった。例年と比べるとすこし早い気がする。初雪ならば顔見せ程度にさらりと吹いて夕方には影も形もなくなればありがたいところ、ここ数日悪天候が続いていたのもあって、そのクライマックスだとばかりにべちゃべちゃのみぞれが降る、あられが頬を打つ、なんか向こうでは雷が鳴っていると、てんやわんやの天気だった。仕事に行くときにはさすがに冬の装いを選んだ。滑らない防水の靴に、厚手の外套。フードを目深にかぶって歩く。靴越しにぐしゃりぐしゃりと雪の泥を踏んだ。
 今日は立冬だ。


 いちばん愛用している冬の外套はもう四、五年の付き合いになる。去年の冬の初めも、そろそろ新しいの買いたいなあと思いながら、結局それで越冬した。生地もぜんぜんまだまだ丈夫だし、ほころびもない。背丈にも合っていて、なんなら一昨年の二月の雪害を乗り越えた戦友でもある。とはいえシーズンごとに新しい上着が発売されると、なんだか欲しくなってしまう。

 誰のnote記事だったかは忘れたが、冬物の上着は万の位の数が使用年だという文章を憶えている。二万円のコートなら二年もの、五万円なら五年使えるというわけだ。よい警句だなあと印象に残っていた。それに則るならば相棒の上着はもう使用年を過ぎている。本格的な冬が始まるまでには買い替えようか。

 ただ、冬の上着は難しい。これが東京とか九州とか、あまり雪の降らないところなら、ふざけたぺらっぺらの何の足しにもなりやしないような、そのくせいっちょ前に値段ばかり張っている、ポケットの底の浅い、フードの一つもついていないカスのコートでもよろしいのだろうけれど、ここは北国、そんなもの浮浪者だって着やしない。しかしたとえばユニクロだとかGUだとか、そういう店に並んでいる冬の上着は、カスのコートだらけなのだった。やむなくセレクトショップとかに足を向けたら、こっちはなお悪い、値段だけが吊り上げられたカスのコートに出くわすのである。こちらトレンドなんですよ~。知ったことかボケナス。冬を舐めるな。冬の上着は、見た目や流行りは第二義だ。いつぞや流行ったボアジャケット、あんなものを着て吹雪の日に出歩いたら、数分で雪ダルマになる。
 最高の冬の上着は何か? 雪を弾く生地で、ポケットは中でぎゅっと握りこぶしを作れるくらい余裕があって、なおかつフードが付いていて、もこもこであったけえやつ。これである。これがまあ、ない。ポケットが微妙だったり、フードにファーが付いていたり(雪がファーに溜まって鬱陶しいため)、見せかけのもこもこだったり。よい冬の上着に出会うのは運命の人に出会うより難しい。結局、今年の冬もいつもので乗り切るのだろうと思う。


 仕事終わりになると雪は止んでいて、半端に固まった雪道をくしゃりくしゃりと音を立てて歩いた。家に帰って、相棒を脱いでハンガーにかける。この最愛の外套は、過去の雪害のときも二度の失恋のときも、私にぴったり寄り添って、冷たい体を心を暖めてくれていたのだった。別の上着もあるにはあるが、いざ猛吹雪という段になると、頼りになるのは彼女なのだ。褪せた黄色で、奥行きのあるポケットがふたつあり、そのポケット側面にもうひとつポケットが付いているという神仕様の、フードに至るまでもこもこな、下にシャツだけでもこれを羽織ればコンビニくらいなら平気で行けるぬくもり。ごめんね、と私は彼女にほおずりする。捨てたりしないよ。愛してる。これからも二人で冬を乗り越えていこうね。彼女は恥じらうように身をよじらせてハンガーから落ちた。

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