三木三奈が芥川賞を獲ってほしかった話

 芥川賞と直木賞が発表された。半年に一度の、凋落いちじるしい文学にとってのかけがえのないイベント。今回の芥川賞受賞作は九段理江「東京都同情塔」当該作は読んでないけど、新聞の書評だとかで面白そうだと思った。そのほか、候補には安堂ホセなどがいる。私は彼の書くものが好きではないので、もし安堂ホセが受賞することがあったら俺はキッパリ文学と縁を切ろうと思っていたけれど、さいわい獲らなくて良かった。こんなふうに人の小説を腐すのは良くないことだと思いつつ、けれど本を読む人にはめいめい自分の譲れない一線みたいなものがきっとあると信じていて、安堂ホセの文章は、私には受け入れられない。もし彼が芥川賞受賞者に並ぶなら、きっと私は読者として不適格なのだ。
 永井龍男という作家がいた。短編の名手だ。芥川賞の選考委員も務めていた。彼が委員の一員だったとき、村上龍と、次いで池田満寿夫が芥川賞に選ばれた。その二人ともに、永井龍男は否定的だった。

 池田満寿夫を是としなかった永井龍男は、みずから委員を席を辞す。これがたとえば石原慎太郎などであれば他の委員がおかしいんだとか文学が地に堕ちたとかなんとか言うところ、永井龍男は譲れないところを譲らないまま、それはそれとしてきっぱり次代に席を譲った。美しい進退だと思う。私は永井龍男ほど文学に精通していないしミーハーな人間だけれども、その姿勢は真似したい。こんな作品がウケるのはおかしいと吠えるよりかは、そうか俺はもう不適格なのだと、さっぱり諦めることができたらいいと思う。

 文章という点でいえば、今回の候補作のうち、私は三木三奈「アイスネルワイゼン」がとても好きだった。彼女が受賞するに違いないとまで信じていた。芥川賞の発表ライブ、九段理江が確定したとき、いやW受賞あるだろと手に汗握って観ていた。残念ながら今回は受賞を逃してしまったけれども、いずれ間違いなくまた候補に上り、今度は受賞と相成るだろう。相成るはずだ。だって文章が整っている。文学の第一義は文章である。ストーリーなんてものは、二の次だ。三木三奈、私はお前の文章に惚れた。芥川賞に関わる小説を読む愉しみはここにある。赤染晶子を思い出した。彼女は私の高校時代に芥川賞を獲って、そのころラノベしか読んでいなかった私に、文章を味わう心地よさを教えてくれた。品があった。

 当時の選評では、石原慎太郎などは「日本の現代文学の衰弱」なんて風に赤染晶子「乙女の密告」を貶しているが、日本の衰弱を招いた彼にしてそう評価せしめたのは赤染晶子の勝利である。永井龍男ならここで勇退していたところ、石原慎太郎は女々しく委員を続けた。死人を鞭打つのはやめろ。はい。

 ともあれ三木三奈の小説は、その文章は、きれいで、私は夢中になった。赤染晶子は遺憾なことに早逝してしまってもう七年になる。三木三奈には長生きをしてもらって、これからも彼女の文章をより一文より一語でも多く読めればいい。三木三奈の門出に善きことの多いよう、ひたすらに祈っている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?