PERCHの聖月曜日 83日目
二十世紀初期に活躍したアメリカの美術史家バーナード・ベレンソンは、フィレンツェにかまえたイタッティという名の館で、よく美術品の鑑定をおこなった。彼は派手好きで、一般の道徳や常識を超越した生まれながらの鑑定家だった。ベレンソンは仲間たちに、ある作品が贋作か、それとも未熟な模造品かを鑑定するときに、なぜ自分が細かい欠陥や矛盾に気づいてしまうのか、どうしてもうまく説明できないとこぼしたという。ある美術品を鑑定した際、ベレンソンは自分の腹がだめだといっているとしか説明できなかった。奇妙な耳鳴りに悩まされることもあった。ときおり急にふさぎこんだり、ぼんやりしたり、平静さをなくしたりした。どうしてもそれが偽物であり、贋作だと鑑定するのか、科学的には説明できなかった。だが、それが彼のやり方だった。
あるときベレンソンはこんなふうに言った。
「かなり広い意味で蓄積された経験があり、そのうえに霊的な感覚が無意識のうちに生じる。・・・絵を見たとき・・・わたしはすぐにそれが巨匠のものかどうか判定できる。あとはただ、自分にとって自明のことを他人にわかりやすく説明する証拠を、いかにして探しだすかが問題なのだ」
ベレンソンはルネサンス初期のフィレンツェの芸術に傾倒し、鑑定する美術品が本物か贋作かを無意識のうちに見破れるようになったのだが、彼の頭脳には、現代でいえばコンピューターのハードディスクのような膨大なデータがインプットされており、ありとあらゆる関連性を随時に引き出せたのだと思われる。彼が見ていたのは観察の結果生まれた印象であり、芸術的な精妙さであり、色彩、色合い、眼ではとらえられない線のつくる形といったさまざまな要素だった。ベレンソンは絵を見た瞬間にそれらを感じとったのである。
彼は考える以前に、たとえばある絵を見て、その画家の新作にしては使徒ヤコブの額にかかる髪の毛が巻きすぎているとか、巻きが足りないと指摘した。あるいは、フラ・アンジェリコのものだといわれる絵の、空の部分に使われたセルリアン・ブルーが、ほかの板絵の色よりも浅いとか、カルロ・クリヴェッリの作とされる絵で、窓辺にある物の置き方が作者にしては完璧すぎる、などという見分け方をした。
ーーートマス・ホーヴィング『にせもの美術史 メトロポリタン美術館長と贋作者たちの頭脳戦』雨沢泰訳,朝日新聞社,2002年,pp20-21
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