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PERCHの聖月曜日 50日目

われらは一つの軸を掛けるにも、その軸物とその床の間の壁との調和、即ち「床うつり」を第一に貴ぶ。われらが掛け軸の内容を成す書や絵の巧拙と同様の重要さを裱具に置くのも、実にそのためであって、床うつりが悪かったら如何なる名書画も掛け軸としての価値がなくなる。それと反対に一つの独立した作品としては大した傑作でもないような書画が、茶の間の床にに掛けてみると、非常にその部屋と調和がよく、軸も座敷も俄かに引き立つ場合がある。そしてそういう書画、それ自身としては格別のものでもない軸物の何処が調和するかのかといえば、それは常にその地紙や、墨色や、裱具の裂が持っている古色にあるのだ。

その古色がその床の間や座敷の暗さと適宜な釣り合いを保つのだ。われわれはよく京都や奈良の名刹を訪ねて、その寺の宝物といわれる軸物が、奥深い大書院の床の間にかかっているのを見せられるが、そういう床の間は大概昼も薄暗いので、図柄などは見分けられない、唯案内人の説明を聞きながら消えかかった墨色のあとを辿って多分立派な絵なのであろうと想像するばかりであるが、しかしそのぼやけた古画と暗い床の間との取り合わせが如何にもしっくりしていて、図柄の不鮮明などは聊かも問題ではないばかりか、かえってこのくらいな不鮮明さがちょうど適しているようにさえ感じる。つまりこの場合、その絵は覚束ない弱い光りを受け留めるための一つの奥床しい「面」に過ぎないのであって、全く砂壁と同じ作用しかしていないのである。われらが掛け軸を撰ぶのに時代や「さび」を珍重する理由は此処にあるので、新画は水墨や淡彩のものでも、よほど注意しないと床の間の陰翳を打ち壊すのである。

ーーー谷崎潤一郎「陰翳礼讃」『谷崎潤一郎随筆集』篠田一士編,岩波書店,1985,p194-195

St. Jerome in a Dark Chamber
Rembrandt (Rembrandt van Rijn)
1642


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