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PERCHの聖月曜日 80日目

普通の市民と市民運動 一九八〇年三月七日

「サザエさん」が安楽な日常生活を愛し、それに満足しているということは、六〇年代から七〇年代にかけて日本にすでに現れている経済的帝国主義を見逃すという傾向をつくっているでしょう。しかし同時に、「サザエさん」の思想のなかにはまだまだ二つのブレーキが働いています。一つは、たとえば、日本の海外における経済的利害を守るために軍隊を派遣すべきである、という戦前の日本がもっていた思想が、影さえも見られないことです。もう一つは、平均の人間の生き方、暮し方ができればそれでいい、というはっきりとした信念で、そこから見ますと、たとえ国家のためであっても、莫大な富をつくるためにものすごく努力する、などということは滑稽なことに見えます。こういう見方からしますと、戦争中の大臣であった岸信介が戦後の総理大臣になって議会の指揮をとる、という一九六〇年のできごとに対する大衆の反対運動に、「サザエさん」が同情をもつのはわかりますし、また七〇年代に入って水俣病についての抗議の運動、またそのほかの公害反対運動に、「サザエさん」が同情をもつというのもわかります。しかしそれは、穏やかな抵抗への共感であって、過激な革命運動への共感ではありません。それが普通の市民の正直な本音でしょう。しかし、「サザエさん」の内容の分析は、市民運動から遠い市民もまたただの無関心の中にいるのではなく、ある種の理想に支えられていることを示します。

ーーー鶴見俊輔『戦後日本の大衆文化史』岩波書店,2001年,p225-226

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