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肩車

昨年10月に父の嫁から電話があった。10日ほど前に父が脳梗塞で倒れ、命に別条はないが、半身不随と言語障害を発症し、入院しているという。私は見舞いに行きますといって電話を切り、実際にそのつもりだったのだが、結局今年の8月になってようやく重い腰をあげ、関西出張の帰りに金沢へと寄った。

車椅子の父を見て、何を感じたかはまた別の機会に書くとして……。

父にはふたり兄がいる。この伯父さんたちには若いころの父がたいへんお世話になったので、挨拶だけでも行こうかなと思って父に連絡先を聞くと、最近は連絡もあまり取っていないし、引っ越したばかりだから住所録がすぐに出てこないといわれた。

それで、ひとりで昼食をとった饂飩屋を出たとき、確か近くだったなと思って次男のイクジ伯父さんちを訪ねた。場所はほとんどうろ覚えだったが、一発で記憶にある玄関が現れた。ごめんくださいと声をかけると、出かけようとしていた伯母さんがいた。20年ぶりくらいだが、見覚えのある顔だった。

「マサヤスの娘の香織です」と挨拶すると、伯母さんは「あら、香織ちゃんなの? でもごめんなさい、小さいころのイメージしかないから、顔がわからないわ」といった。伯父さんは脳梗塞を患っていまは部屋で寝ており、従姉妹のむっちゃんはでかけているという。私はいまの父の様子や小将町に引っ越したことを伝えて、名刺を渡してから辞した。

そして、長男マサヒロ伯父さんの職場に電話をすることにした。伯父さんは金沢工芸美術大学の出身で、美大入学専門予備校「堀アート・デザイン研究所」をつくった人だ。いまは長男のマサアキ兄ちゃんが後を継いでいる。職場の電話はネットですぐにわかる。

1時間半後に予備校に着くと、マサアキ兄ちゃんが出てきた。会ったのは子どものころきりで、ほとんど初めて会ったようなものだけど、父方の系統の顔だなあと思った。私より年上に見えない、とても若々しい人だった。

私たちは1時間ほど、互いの親の近況を話した。伯父さんは薬を大量に飲んでいるが元気で、伯母さんが最近軽い脳梗塞を起こしたという。私の父も73歳、伯父さん夫婦も80代後半、つまりそういう年齢だということだ。

予備校までの道が上り坂と下り坂がきつかったので、別の道を教えてくださいとマサアキ兄ちゃんにいったら、父の家まで車で送ると申し出てくれた。車ではほんの10分ほどだった。「よかったら少し寄っていきませんか? 父、すごく喜ぶと思うので」というと「はい、そのつもりでした」と車を寺に停めて、寄ってくれた。

父はたいそう喜び、一生懸命彼に話をした。「あんたのお父さんはとっても才能あったんや」といっては泣き、「預かっている先祖の位牌は、ゆくゆくはマサアキに継いでもらいたい」といっては泣いた。言語障害があって発音がままならないので、その言葉を完全に理解するのは難しいが、マサアキ兄ちゃんは身体を前のめりにして聞いてくれた。

最後に父は、15歳上の兄貴が自分を肩車してくれて、そこで自分がお漏らししたのに怒らなかったという話をした。そして「あんたのお父さんは本当に優しい人なんや」といってまた泣いた。



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