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映画監督 砂田麻美×ライター 清水浩司対談─愛する人の”生の記録”を作品にするまで③

家族感の変化

砂田 清水さんは本(『がんフーフー日記』)が完成したあとはどのような心境でしたか。「ひとりでも多くの人に読んでもらえたら嬉しい」という感じですか?
清水 それもあるし、同時にすごく怖かった。本当に正しいことをしているのかどうか……。まあ、何が正しいかわからないけれども、倫理的なことを考えますし……。あとは関わってくれた周りの方々の心に対してはすごく気を使いますよね。もしかしたら誰か傷つけることになるかもしれませんし。
砂田 書いているときは、ブログだから他の人も見ているけれども、基本的には自分と奥様のふたりだけの密な世界、密な結びつきですよね。それを公にしたことによって、ひとり歩きするような感覚はなかったですか?
清水 それはやはりありました。ブログをオープンにしていること自体変ですし、書籍自体も個人的な内輪話を外にさらすわけで。でも、同時に多くの人に読んでもらいたい気持ちもあるし、ホントに複雑。本にしてよかったのか悪かったのか、いまは正直わからないです。
砂田 ブログにしているということは、本になる前から自分の知らない人たちが自分たち(ヨメと自分)のことをじっと見ているわけですよね。
清水 そうですね。変な話、妻が死んでいく実況中継をやっていただけなんじゃないか?という負い目というか、倫理的にどうだったのかなという思いはあります。いいのか悪いのか、それは夫としてどうなのか、いまだ結論は出ない。砂田さんは作品が完成して、そういった気持ちの整理はついているんですか。
砂田 ぜんぜんついていないですね。ぜんぜんというのはちょっと大袈裟だけど、いまはふたりの自分がいるような感じかな。宣伝しているときは「ひとりでも多くの人に観てもらいたい」と素直に思っているし、「どうやったら前売券売れるかな」とか(笑)すごく考えているんですが、その一方で、たとえば取材相手の方からすごくエッジのきいたことを訊かれると、映画に対しての批判ではなく家族に対しての批判のように感じてしまう瞬間があって。そこの折り合いがなかなかうまくつかないんです。
清水 そうですよね、そこに踏み込んで話を聞き出そうとすれば、「生き方に対する是非」とは言わないまでも、グサグサと刺さる質問になってしまう。
砂田 そこまでグサッ!っていうのはまだないですけど、これからたくさんあるのかなと思うと、足が竦むというか……。自分の意志で、自分が望んでつくったものなのに、突然”遺族感情”がめばえるんですよね。その矛盾が自分でわかっているからこそ、折り合いをつけるのが難しい。
清水 そういうの、僕もありました。カルチャー誌とかは丁寧な訊き方をしてくれるんだけど、もっとざっくりしたメジャーな媒体って「このときってどんな気持ちでしたぁ?」とかガンガン来るんですよ。
砂田 そう! そうなんですよ〜!!(笑)
清水 「そのとき悲しかったりしなかったんですかぁ?」とか、大きな鉄球がガンガンぶつけられるような感じで。「あの、もうちょっとナイーブに聞いて……」って(笑)。
砂田 悪気はないと思うから不快ではないんですけど、ただ単純にきついですよね。
清水 「思いだして喋るのもけっこう辛いんですよ……」的なね。自分で宣伝に来といてなんなんですけど、あれはきますね。弱音っちゃ弱音ですけど。
砂田 自分で蒔いた種っちゃ種なんですけど(笑)。
清水 じゃあ、砂田さんの場合は、次にフィクションを撮られたときに、何かいろんなことがわかるかもしれないですよね?
砂田 そうですね。将来、役者さんを使って撮ったときも同じ気持ちでいられたらいいなと。「私は監督だから、演出まではやるけれど、あとは関係ない」と突き放すのではなく、役者自身のすべて、演技のすべてまで責任を感じられるような、親のように見守れる監督でありたいです。
清水 なるほど。当然のことですけど、監督は次回作を考えてますよね。僕が取材で一番困ったのは「次回作はなんですか?」と訊かれたことなんです。もう身近な人、死なないし、っていう(笑)。
砂田 『がんフーフー日記』に準じたものではなくても、純粋に何か本を書きたいというのは?
清水 いまはないですね。この本は純粋につくったというか、たまたま体験した責任者として(本を)出させてもらった感じがするので。砂田さんはお父様を看取り、『エンディングノート』をつくって、家族感は変わりましたか?
砂田 ……見送るときはものすごく感じましたね。特に最後の数カ月は、ひとりの人を見送るためにみんなが集結していたから。喧嘩じゃなくて、いろんな意見があるから当然ぶつかることもあるけれど、ひとつの課題に全員が集中するというのは、病気以外はあり得ないことなんだなと。たとえば結婚式だったら当日みんなが現れるだけじゃないですか(笑)。
清水 ま、そうですね。親父が「あれはオレにやらせろ」と言い出すとか(笑)、そういう当日だけの一悶着と解決はあっても、何週間、何カ月もの間、顔を付き合わせて課題に集中するというのはないですよね。
砂田 私、家族ってチームメイトみたいだな、と思ったんです。それぞれが「野球やりたい」「バスケやりたい」「手芸やりたい」と思っていたのに、突然理不尽に集められてチームを組まされた人たちの集団。しかも、やめるのがかなり厄介。何の因果だよ!みたいな(笑)。
清水 性格も合っているんだか合っていないんだかわかんない、みたいな。
砂田 そう。だけど、そんな寄せ集めの家族に、近々大きな重要な試合があるわけです。そこで作戦会議しながら向かっていく感じがした。特に、病気というのは”答え”がないから、何がいいのかということを、本人を含めてとことん考えるじゃないですか。それが非常に貴重な体験でした。
清水 書くのは個人競技ですが、映画は団体競技ですよね。砂田さんは映画にずっと携わっている。でも、『エンディングノート』はそういう種類の映画とも違っていたわけですよね?
砂田 ……亡くなる2日前、ものすごく忙しかったんです。延命措置をどうするか、痛み止めをどうするか、決めることが次から次へと出てきたとき、家族みんなのチームワークのよさに「映画の現場みたいだな」と思った瞬間がありました。映画は究極のピラミッドなんですね。トップに監督がいて、それ以外の人たちの独自の判断というのはなく、常に「どうしたら監督の撮りたいものを撮れるか?」をひたすら考える感じ。会社だと、社長はいるけれど、それぞれのセクションが独立して判断しながらやっていくでしょう。映画の撮影現場はそのピラミッドが非常に強い。それに近いなと最後の見送る瞬間で感じたことを、いま思いだしました。
清水 撮影現場で言うところの“監督”は、そのときの砂田家にとってはお父様だった?
砂田 ええ。父自身はもう何も命令できないんだけど、父がどうしたいかというのにずっと耳を傾けて、いま何をしてほしいのか、いま困っているのは何か、してあげられることはないかということに家族みんなで集中し、それを必死にやっていました。
清水 それは、いい“現場”でしたね。喋れなくなった“監督”の意向を、なんとかみんなで汲み取っていた。
砂田 そうですね。もちろん先生(担当医)もその一員だったと思うし、本当にものすごいチームワークを感じた2日間でした。
清水 それは実際に『エンディングノート』を見て感じたことです。映画、多くの人に届くといいですね。(了)

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