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シックスナイン集まる。(2008年10月4日記)

大学4年生のときに、母が映画監督の東陽一さんに私を紹介し、それからよく彼と映画を見たり、ご飯を食べるようになった。 

そして連れて行ってもらったのが、新宿2丁目にあった「クロノス」というゲイバー。 

カウンターにはマスターのクロちゃんこと黒野利昭さんがいた。そのころは40代後半か50代前半だったのだと思う。客との会話は気持ちいいくらいの毒舌応酬で、21歳の私は最初は面食らったし、とても会話に入る度胸はなかったけれど、そこは私にとって「初めてのバー」になった。 

酒瓶が並ぶ棚の上部には、古今東西のゲイの文人、俳優、音楽家、そのパトロンたちのモノクロ肖像写真がびっしりと並んでいた。「あれ、誰だ?」なんて会話が、初めて来た客の間でよく交わされた。客の背中側の壁には、フランスとかで売っている大きな映画のポスターが額装されて飾られていた。ドアやトイレには新しい芝居のチラシも貼られていた。カウンターの奥には見事な枝振りの花が大きな花瓶に生けてあった。 

とにかく、映画や芝居好き(または関係者)の多いバーだった。それもそのはず、クロちゃんが映画や芝居、小説、そのほか「芸術」とつくものに対する造詣が深いのだ。彼のコメントは常に的確であり、または辛辣であり、もっともその作品を言いえて妙だった。ゲイもノンケもオンナもコドモ(私)も分け隔てなく楽しめる稀有なゲイバーだった。 

          *** 

大学を卒業して1年後、雑誌『SWITCH』のアルバイトを始め、東さんと少し疎遠になったこともあり、ある日私は意を決して、ひとりで店に行った。 

「あら、アンタ、ひとりで来たの?」 
「はい、ひとりです」 

クロちゃんはたぶん、私がちょっと緊張しているのがわかったのだろうし、また23歳の女のコががんばってゲイバーにひとりで来たのを少しは評価してくれたのだろう。「そう」とやさしい笑みを浮かべ、「若いコは奥に行きなさい。ヒロシ、あんた相手してやって」と言った。 

それまで奥に座ったことはなかった。(東さんの定席は一番手前だったのだ。)カウンターの中には、20代後半くらいのゲイがいた。それがヒロシさんだった。 

ヒロシさんは、男性客4人の間にひとつ席をつくって私を座らせ、彼らに「カオルちゃんだって」と私を紹介してくれた。右はアッちゃん、タイゾウくんのカップルで、左にはシゲとハラくんというおのおのひとりで来た男の子が座っていた。彼らは全員がゲイで、ひとりで来た若いオンナを珍しがって相手をしてくれた。 

いまから14年も前のことで、幸福なことにそのうちの3人とは縁が続いている。 

          *** 

それから私は2、3週間に1回、少なくても月イチのペースでクロノスに通った。SWITCHの同僚も連れて行ったし、編集長も連れて行ったし、高校時代と大学時代の女友達も男友達も、彼氏も、気になる男も、母も妹も弟も、みんな連れて行った。(連れて行ったというよりは、一緒に来てもらったのほうが正しいが。) 

だいたいはヒロシさんの前に座ったが、ときどきクロちゃんの前にも座った。 

いつか、三島由紀夫にハマって読みあさっていると言ったら「へえ、何がおもしろかった?」とクロちゃんに訊かれたことがある。(私はそのとき、彼が超ド級三島由紀夫フリークだということをまったく知らなかった。) 

つまらない返事をしてバカにされたくないなあと思いながら、おそるおそる「『愛の渇き』と『午後の曳航』です」と答えたら、「へえ!」とクロちゃんは少し意外そうな顔をして「いいセンスしてるじゃない。私もその2冊が好きなのよ」と言った。心の底からホッとした。 

あるとき、雷に打たれたくらいの恋に落ちて、その男性をご飯デートに誘い、クロノスへと連れて行ったことがある。 

もちろん私の一方的な片思いだったので、店を出て、お互い違うタクシーで帰宅したのだが、その次にひとりでクロノスに行ったら、クロちゃんに「アンタ、あのあとヤッたの?」と言われた(笑)。「えー! ヤッてないですよ」と言うと、「そうなの? アンタの顔に『あなたとヤリたい!』って書いてあったから、てっきりヤッたのかと。なぁ~んだ、アンタ、モテないのねえ~」と笑われた。 

29歳のときに常連の人たちが「今、どんな夢があるか」という話題をしていた。クロちゃんが私に「アンタは?」と訊いてきたので「結婚して子供を産むことかな。私、けっこう平凡なんですよ」と答えたら、クロちゃんにホントわかってないという顔をして、「29歳にもなって結婚もできないオンナは、“平凡”なんて言・わ・な・い・の・よっ!!」と言われた。(でも非凡という意味でもない。)

とにかく、大好きなバー、大好きなマスターだった。いつ行っても「あら、いらっしゃい」と迎えてもらえ、帰り際には「お幸せにね」と見送ってもらえた。いくつかの大事な出会いがあり、数え切れないほどの愉快な思い出があった。 

2001年10月、1年間のロンドン語学留学前にもクロノスに行った。楽しい時間を過ごし、終電に間に合うように会計をすると、クロちゃんは「ちゃんといい男、見つけてくんのよ!」と笑い、いつものように「お幸せにね」と見送ってくれた。 

それが私がクロちゃんと逢った最後だった。 

          *** 

翌年5月に友人から「クロちゃんが亡くなった」と連絡があった。私はロンドンの自分の部屋でメールを読んで呆然とした。悲しかったというより、信じられなかった。 

10月に東京に戻って、クロノスに行った。クロノスに通うようになって後年、ヒロシさんが2軒隣に「ラピス」という店を出したとき、カウンターにはそれまで客だったトドロキさんという人が入った。そのトドロキさんが、客の「続けてほしい」という意思を継いで、店を開けていたのだ。 

店はほとんど何も変わっていなかった。酒棚の上のゲイの芸術家たちの写真も、壁のポスターも、お客も、かかる音楽の趣味も。ただひとつ、クロちゃんがいないだけだった。クロちゃんのモノクロ写真が小さな写真立てに入って、棚にぽつんと置かれていた。 

私は「トドロキさんのクロノス」に何度か行った。彼はクロちゃんに似て毒舌家で、私は恋人を連れて行くたびに、あとでダメ出しされた。(「あんなのがいいのぉ~? アンタってまだまだコドモねっ!」) そして彼は、これもクロちゃんと同じように「あら、いらっしゃい」と迎えてくれて、「お幸せにね」と見送ってくれた。 

同じ年の年末にまたロンドンに行って、10カ月ちょっと滞在してから戻り、私はまたクロノスに顔を出した。そしてトドロキさんから年末にいよいよクロノスを閉める話を聞いた。 

大晦日に母と過ごさないのは申し訳ないなと思いながら、私はクロノスの最後を見に行った。小さな店は人であふれ、ビルの内階段のてすりにもたれて飲んでいる人までいた。中に入ると、見知った顔の男性が「俺出るから、座りなよ」と席を譲ってくれた。そこは東さんとよく座った、店の一番手前の席だった。 

カウンターの中にトドロキさんがいて、周りにアッちゃんやタイゾウくんやシゲや、見知った人たちがたくさんいた。そして、誰もが1回は座って飲めるように、みんな長居をせずに次々と出て行った。 

0時になったときのことは覚えていない。確かみんなで「あけましておめでとう」とか「クロノスお疲れ様」とかいろいろ言っていたような気がするけど、もしかしたら0時までいなかったのかもしれない。私は酔いと哀しみのあまり、椅子に座ってぼんやりと泣いていて、涙の向こうの景色はなんとなく覚えているが、音に関してはすべて忘れてしまった。帰り際にみんなとハグしてから帰ったことだけが記憶に残っている。 

          *** 

今日は18時半から新宿の「銀座アスター」で「クロちゃんを偲ぶ会」が行われた。クロちゃんが亡くなって6年5カ月、7回忌代わりに発起人3人&実行委員3人が企画した。 

私はクロノスを閉めたトドロキさんがあらためて始めた店にときどき行っていて、先日、「カオル、アンタも来る?」と直接誘われたのだ。 

10分遅れで到着すると、会場は大勢の客がグラスを持って浮遊していた。受付に立っていたトドロキさんが「あら、カオル」と、いつものように気のなさそうな声で呼びかけてくれた。そばには3年ぶりに逢うアッちゃんがいた。 

誰かの挨拶で会は始まり、誰かの乾杯の音頭でグラスが掲げられた。それからしばしの歓談タイム。中華料理が壁ぎわのテーブルに所狭しと並んでいた。 

半分くらいは顔に見覚えがあった。名前も知らない、でもカウンター越しにクロちゃんを通して語り合った人たちだ。 

歓談の途中で、何人かがクロちゃんの思い出話を喋った。女優さんやら映画監督やら有名な人たちが喋り、それから一般の常連さんが喋った。 

「クロノスで恋人を見つけました。彼と長く付き合っていくことが、クロちゃんへの供養です」と笑いをとった人。「今でも芝居を見に行くと、クロノスに出かけて、感想を話したいなと思う」としんみり言う人。「クロちゃんは自分のことをセンズリオカマだって言っていたけど、つまり、人の愛を求めないで自力で生きた人だってことです。みんなもセンズリで生きていきましょう!」とむちゃくちゃなことを言う人。(もちろんみんな笑っていた。) 

誰もがクロちゃんの不在を哀しみ、そして彼の愛情あふれた“毒舌”を懐かしがっていた。 

そのうち、トドロキさんが「次は……さんです」と勝手にリクエストするようになり、私もいきなり「次はホリカオルさんです」と言われてしまった。 

ゲイでもなく、クロノスを知ってまだ16年の新米(!)の分際でクロちゃんの思い出話を話せと言われても……と思ったけど、トドロキさんが私のことを大事に思ってくれているのがわかった。だって「このコもクロノスの常連だったのよ」と他の大先輩たちに紹介してくれたわけだから。 

マイクの前に立つと、そんなに緊張しなかった。みんなが優しく見守っていてくれたからかもしれない。私は21歳で東さんにつれてきてもらったことを述べ、それから恋人を何人かつれてきてクロちゃんによくダメ出しされたことを述べ、「そんなわけでいまでも独身です」と言ったら、みんなが笑ってくれた。 

最後は、人形作家の四谷シモンさんが挨拶をした。やさしい声で何度も「クロちゃん」と呼びかけた。まるでそこに本人がいるようかのように。 

          *** 

会が終わり、トドロキさんの店に行くという数人が最後まで会場に残っていた。 

エレベーターにみんなで乗り込んだとき、私が「今日、何人くらい来てたの? 80人くらい?」と訊ねると、トドロキさんが「69人。シックスナインよ」と例の低い声で言うので、みんながゲラゲラ笑った。 

そしてトドロキさんの小さな店は人であふれた。
あのクロノスの最後の日みたいに。 

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